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水の歴史館 西条の水にまつわるお話

ページID:0070374 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示

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西条の水にまつわるお話

西条市には、市民にもあまり知られていない、水にまつわるお話があります。
その幾つかを紹介します。

● 大明神川の主な堰と大宮堰騒動

● 大谷池築造計画からの道のり
 西条市小松町南川地区では、明治31年(1898)ごろ、「月夜でも田んぼか焼ける」といわれるほどかんがい用水の乏しいところでした。それを解消するために大谷池の築造計画が立てられましたが、下流地域の猛反対で中止となりました。
 国の食料増産政策により、明治42年(1909)に耕地整理法が改正され、法整備が整ったことで、大正3年(1914)耕地整理に伴う先行事業として、当時、愛媛県内で最大といわれる大谷池の築造工事が進められることになりました。

● 黒瀬の記憶
 昭和38年の新産業都市建設促進法に基づき、東予新産業都市計画が立てられ、県勢振興の一翼となる工都建設のため、多目的ダムとして誕生した『黒瀬ダム』。その建設を巡っては戦前戦後を通じて紆余曲折があり、ダム計画に翻弄された黒瀬地区の人々にとっては複雑な思いがありました。
 幾星霜を経た今日でも人々の心に焼きついた「黒瀬の記憶」は、ついこの間のことのようによみがえります。

● 和紙の起こりとその先覚者たち
 小松藩、西条藩、国安・石田地区それぞれに和紙づくりが始まった歴史があります。

● 西条市での手漉き和紙の今昔
 日本の伝統文化が西条市には息づいています。和紙文化がそれではないでしょうか。
 西条市には良質な水と、豊かな自然に恵まれているため、古くから紙漉きが行われてきました。また、近くで楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、糊空木(ノリウツギ)などの、和紙の原料が確保できたことなどが和紙文化を花開かせたものだと思います。
手漉き和紙の出来るまで

● 劈巌透水路 (へきがんとうすいろ)
 今から226年前、中央構造線の大断層に挑んだ男がいました。農民のためにノミ1本 で、9年間もの歳月をかけて随道(トンネル)を造りました。そこは菊池寛の小説『恩讐の彼方に』で出てくる青の洞門(大分県中津市)になぞらえて、「伊予の青の洞門」と呼ばれています。
○ 劈巌透水のミステリー

● 兼久(かねさ)の大池
 2.86キロメートル先の大池築造の予定地まで水が流れていくかどうかに命をかけた男がいました。
 だれも計画に賛同する者がいない中で、赤坂山に登り釜之口から大池予定地まで数十の提灯を並べ、土地の高低を目測・心測し、誰もが無理だといった計画を、越智喜三左衛門は1年4ヶ月という突貫工事で成し遂げました。

● 志川掘抜隧道(志川切抜水道)
 江戸時代から340年間経った現在も現役バリバリの二段隧道(トンネル)

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