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水の歴史館 大明神川の主な堰と大宮堰騒動 1.大明神川の主な堰

ページID:0070377 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示

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大明神川の主な堰と大宮堰騒動

1.大明神川の主な堰

 大明神川の主な堰

(1)小掛堰の写真

(1)小掛堰

(2)大掛堰の写真

(2)大掛堰

(3)明神堰の写真

(3)明神堰

(4)赤石堰の写真

(4)赤石堰

(5)象ケ鼻堰の写真

(5)象ケ鼻堰

(6)大宮堰の写真

(6)大宮堰

  大明神川の上流は高輪山脈で、花崗岩の風化しやすい地帯を水が流れており、大水のたびに谷々から土砂が流出してくるため、昭和38年度から砂防工事(注1)が実施されました。
 この川には、上流から(1)小掛堰(こがけぜき)、(2)大掛堰(おおがけぜき)、(3)明神堰(みょうじんぜき)、(4)赤石堰(あかしぜき)、(5)象ケ鼻堰(ぞうがはなぜき)、(6)大宮堰(おおみやぜき)の順に六つの主な堰堤が設けられており、その真下に桑村・国安地区の取水口があります。
 一番上流部にある小掛堰は何段にも石積みがされています。各段の石積は1m以上もあり、それぞれの高さを合わせると2.3mもあり、一番上流部でかんがい用水を取水しています。
 愛媛県土木部では昭和48年から大宮堰付近より上流790mまで、第一期砂防工事を施工していたところ、昭和51年9月4日に発生した台風17号が、9月10日から12日まで九州の南西海上でほとんど停滞、また、前線が関東から四国付近での停滞したことで、わずか6日間で約1年分の雨(1,000mm)を降らし、がけ崩れや堤防の決壊などで大変な被害を受けました。特に花崗岩地域の下流地帯は稀に見る惨状でした。
 国は激甚災害法(注2)により復旧に取り組み、小掛堰まで960mの床固堰堤(とこがためえんてい)(注3)を築造しました。また、水利権者と相談してかんがい用水が取水しやすいよう設計施工し、川床より約2mの深さまで掘り下げて堰堤を築造しました。特に傾斜の急な小掛堰では、岩盤の中まで深く掘り下げて数段の堤を積み上げて頑丈にしています。

小掛堰より下の数段の堤の写真

 

 

小掛堰より下の数段の堤

 

 大明神川は二級河川で、第一期工事は砂防工事で昭和48から52年まで、第2期工事は激甚災害復旧工事で昭和51から53年まで行いました。
 昔の面影なく頑丈となった大明神川ですが、堤防に江戸時代からあったという松並木が「松くい虫」(注4)により枯れてしまい、現在では数本しか残っていないのは残念なことです。
 堰は立派に復旧しても取水法は旧慣習を重んじ、小掛堰では石、栗石、砂を用いて取れるだけのかんがい用水を取水しており、下流の堰も同じような方法で、中央に石を置き、下流と半々に分水しています。
 右岸に取水口のある象ケ鼻堰は、吉岡地区へ分水する唯一の堰で、上市(かみいち)、広岡、石延(いしのべ)地区にとっては命の水です。その昔、分水の協定が守られているかどうか、堰のところに番小屋を立て、二人組の水番が日に一度、必ず小掛堰まで見廻りに来ていたといいます。見廻りが済むと番小屋で草履(ぞうり)(注5)や草鞋(わらじ)(注6)を作っていたと伝えられています。今では道前平野土地改良区の管理するかんがい用水が導水されているため、取水は寛大になっていますが、昔支払っていた池敷米(注7)は今も吉岡の三地区では賦課金として支払っています。

(注1)砂の流出を防ぎ、流路を安定させる工法。
(注2)激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律の通称。
(注3)河床の洗掘低下を防止し、河川の縦断形状または横断形状を維持するために河川を横断して設けられる工作物。急流河川に階段状に設置して(落差工という)河床勾配(こうばい)の緩和を図り、洗掘、侵食を防止するもので、コンクリート、沈床(ちんしょう)、わくなどを用いて造られる。
(注4)松類を加害する害虫の総称。古くは樹皮下を主とする松の幹で繁殖加害する甲虫類をさしていましたが、近年の研究では、マツノザイセンチュウによるもの(マツ材線虫病)がほとんどだといわれています。マツノマダラカミキリの成虫が松の樹皮や枝をかじるたびに、気管内に入っていた大量の線虫をかみ跡に落とし、この線虫が樹木全体に広がり、木は急激なしおれ現象をおこし、松脂(まつやに)が出なくなると、本来衰弱木にしか生育できないマツノマダラカミキリがこの木に産卵、幼虫の生活に好適となるだけでなく、他の松くい虫も産卵するため、わずかの間に松が赤変枯死します。
(注5)歯がなく、底が平らで鼻緒をすげてある履物。ワラ、いぐさ、竹皮などで編んだもの。
(注6)わらで編んだ草履状の履物。足形に編み、つま先の2本の緒(お)を左右の乳(ち)に通して足に結びつけて履く。
(注7)昔、池が地主の所有物であった頃、池の水を使用した際に耕作面積によって納めていた年貢のことで、いまこの慣習はなくなっている。

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