はじめに
大明神川は古来より名うての暴れ川で、永禄年間の大洪水で現在のように変わったと伝えられています。大水のたびに上流の土砂が流失し、河底に堆積した土砂礫は、人力によって掘り取られ、堤防補強のために堤防上に積み上げられました。こうした人力と自然力の繰り返しで、両岸および河床が長い年月の間に平地より高くなり天井川となりました。
この川の上流には主な堰が6カ所あり、水の配分については古くから取水の慣習が守られていましたが、大正11(1922)年11月に一番下流の大宮堰で大野・宮ノ内地区と桑村・国安地区の水争いがありました。