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水の歴史館 大谷池築造計画からの道のり 4.下流地域住民らの反対

ページID:0070399 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示

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大谷池築造計画からの道のり

4.下流地域住民らの反対

下流域から大谷池を望む(写真中央右)
下流域から大谷池を望む(写真中央右)
 第二区(大字南川)の計画に対し、下流にあたる第一区(大字新屋敷)・第三区(大字北川)から、堰堤決潰の危険を理由に反対の声がもちあがりました。賛否をめぐる対立は、村役場や郡役所を巻き込む論争にまで発展していきました。
 第一区の区会は、明治31年2月12日、第二区の大谷池築造計画に賛成の決議をしましたが、同年2月23日に賛成決議を取り消しています。また、第三区の区会は、同年2月19日に第二区の計画に反対決議をしましたが、2月26日に反対決議を取り消しています。
 このように、第一・第三区の区会の決議は、住民の動きを反映して揺れ動きました。

  2月27日、村上善助は村議会に先立ち、全村会議員に大谷池新設承認の内諾を取り付けました。翌28日、先に村長を辞任した佐伯太郎朔(たろうさく)及び村会議員を伴い、大谷池の築造予定地へ案内して、築池(ちくいけ)の安全性を強調し、反対運動鎮静化の協力を求めました。
 しかしながら、住民らの反対運動を抑えることはできず、明治31年3月10日、周桑郡小松村大字北川の井上彌平(やへい)他37名、大字新屋敷戸田虎吉他83名は、『築池請願に対する嘆願書』(資料2)を愛媛県知事に提出しました。
 さらに3月12日、大字北川人民総代井上彌平・戸田菊吉、大字新屋敷字新宮人民総代塩出石之助・玉井浅吉、大字新屋敷字一本松人民総代河渕仁作・平井喜八らも、それぞれ連署して『大谷池築池反対の嘆願書』を愛媛県知事に提出しました。
 3月14日、反対住民らは大谷築池反対を叫んで村役場へ押しかけ、騒乱状態となりました。急を知った福岡警察署は、署長の高島徳次郎自ら出動し、反対住民を解散させました。
 その後もなお反対嘆願は続き、4月4日には、大字新屋敷字新宮総代日野熊太郎、桧垣清三郎、佐伯喜蔵らが、また、4月7日には、大字新屋敷地主武司重緯他34名、大字北川地主井上彌平他16名が嘆願書を提出しました。

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