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明治31年4月12日、周桑郡長山下興作は、郡書記星加辰一郎を伴い、新屋敷森田保之助旧宅で村会議員と協議しました。翌13日から22日にかけて、助役村上善助、佐伯太郎朔らが同行して、南川、北川、新宮と順次反対派の説得に努めましたが、同意を得るには至らず、その後、大谷池の築造計画は中止となりました。