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本村大字南川(本村第2区)において、今般、同区の営造物(注1)として、大谷川の上流を堰(せ)き止め、新たに一大池(いちだいち)を築造する設計を立て、現在、請願中のようですが、もともとこの川は非常に奥が深く、数多くの渓流(けいりゅう)を呑(の)み込んでおります。普段は殆ど水がありませんが、一度(ひとたび)出水(しゅっすい)があると、多量の水量を吐きだします。
それなのに、平地に出ると河川の屈曲(くっきょく)が非常に多く、また、川幅が徐々に狭くなり、川裾(かわすそ)(注2)にいたっては、実に川幅(かわはば)が三尺(約90cm)もなく、そして、堤防はほとんど有るか無いか分からないような状態で、今までにも夏や秋の時期、出水がある度に川の流れは常に堤防内を流れず、水が溢れ、低地に激しく流れ出るため、北川及び新宮地区のようなところは、多かれ少なかれその被害を被っています。
去る明治26年(1893)の水害の際には、実に非常な損害を被っております。そうであるのに、今、山間の上流において、築留工事(つきどめこうじ)で一大池を営造しようとしておりますが、ひとたび堰堤が決潰すれば、さまざまな方面に狂流奔送(きょうりゅうほんそう)(注3)するものと思われます。
その池を頭上に戴く(いただく)下流の各地区は、耕地(田畑)の被害はいうまでもなく、家屋を流失し、人や家畜を死傷させるなど、どんな惨状(さんじょう)(注4)を表わし出すことか測り知れません。万一(まんいち)該地(大谷川の上流)に大谷池が築造されると、下流に住んでいる人民は、常に枕を高くして安眠することができなくなります。
現に、気の早い者は、最近、池が築造される事を聞き、水害を憂慮(ゆうりょ)して住宅を移転した者さえいる状況であります。今、仮に該池(大谷池)を築造し、南川地区の畑及び藪林(そうりん)(注5)等をことごとく開墾し、田面に変換出来るとしても、反別(たんべつ)おおよそ12~13町歩にすぎず、しかもその得失(とくしつ)(注6)を乗除すれば、その残る所の利益は、実に少ないものと信じております。そして、一面よりこれを観(み)れば、ひとたび、決潰等があれば、これにより覿面(てきめん)に被害を受けるものは、耕地のみについてこれを推測すると、ほとんど70~80町を下廻ることはなく、その他、その影響する所の被害地、及び家屋人畜等に関する損害は、実に計算しがたく、測り知ることができない患害(かんがい:わざわい)があると存じております。
閣下(かっか)(注7)の賢明な判断を仰ぎ、彼(か)のわずかな利益をもって、この大害(たいがい)(注8)に引きかえ、御許可を出すことは絶対無いものと確信致しておりますが、従来はこのような工事は総て、四燐(しりん)(注9)の承諾や保障をもって出願しなければならないことは、法文(ほうぶん)(注10)には明示しておりませんが、慣行上(かんこうじょう)(注11)の普通一般の規則であります。
今や下流の各地区においては、痛くその患害のある所を訴えているにもかかわらず、既(すで)にその請願書(せいがんしょ)(注12)を提出するようです。よって、一日ものほほんとして黙って見過ごすことはできません。謹んでこの状況の概略を上陳(じょうちん)(注13)し、該池(大谷池)築造の請願に対して、ご許可をされないようひたすら歎願(たんがん)(注14)申し上げます。
明治31年(1898)3月10日
周桑郡小松村大字北川
井 上 彌 平
(以下37名連署省略)
大字新屋敷
戸 田 虎 吉
(以下83名連署省略)
愛媛県知事
篠 崎 五 郎 殿
(原文の中に不適切な表記があったため、一部訂正しています。)
(注1)営造物・・・公共の使用のために設置される施設。
(注2)川裾・・・河口に近い辺り。川じり、下流。
(注3)狂流奔送・・・荒れ狂った大水がどこかれとなく流れるさま。
(注4)惨状・・・むごたらしいありさま。
(注5)藪林・・・潅木(かんぼく)の茂みと林。
(注6)得失・・・得ることと失うこと損得。
(注7)閣下・・・ここでは愛媛県知事篠崎五郎のこと。
(注8)大害・・・大きな損害。大きな災害、または大きなさまたげ。
(注9)四燐・・・隣り合った周囲の地区。
(注10)法文・・・法律・法令の文章。
(注11)慣行上・・・古くからのしきたり上。
(注12)請願書・・・請願の趣旨を書いた文書。
(注13)上陳・・・意見を上の者に申し述べること。
(注14)嘆願・・・事情を詳しく述べて熱心に頼むこと。