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水の歴史館 大谷池築造計画からの道のり 9.『溜池新設願(溜池新設理由書)』現代語訳(資料1) 

ページID:0070404 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示

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大谷池築造計画からの道のり

9.『溜池新設願(溜池新設理由書)』現代語訳(資料1)

   周桑郡小松村大字南川は、今日、78戸の地区で、20町3反3畝余歩の水陸田(畑と水田)を有しており、住民全員が農業に従事しており、そしてこれにかんがいする用水は、字大谷川というひとつの細流に過ぎないため、各田んぼの隅に酌井(しゃくせい:井戸)を掘り、年々用水が欠乏(けつぼう)(注1)するため、老幼男女(ろうようなんにょ)の別なく、かんがい用水の汲み上げに従事しております。

 特に大旱魃(だいかんばつ)(注2)の際には、植え付けの当初より刈り取りの期間まで、やむなく父兄は小学校の児童までも学校を休ませ、ほとんど昼夜を問わず力の限り懸命に労働をしていますが、最近の明治26年(1893)及び27年(1894)、30年(1897)のような旱魃では、井戸水が期間の半ばに枯渇(こかつ)(注3)します。

 各小作人らは、地主に対してかんがい用水の不足を訴え、救助を求めてもどうすることも出来ず、手段もなく、旱魃の害を待つしかないというようなありさまで、実に農民が苦労している状況は言葉では言い表せません。このままでは人民は自然と貧窮(ひんきゅう)(注4)に陥り、地区では年を追うごとに経済状態が悪化してきたため、今ではほとんどの人民が耐えて我慢することが出来なくなっております。

 そういう訳で、地区人民はしばしば協議を行い、用水溜池を築き、水不足の救済を心から望んでおります。もはやこの計画が実行出来なければ、とにもかくにも、当地区においては百姓たちの生活が出来なくなり、何処かへ出稼ぎに行かなければなりません。

 右字大谷には、往古(おうこ)(注5)より、溜池に適当な敷地がありますが、堰堤を築造することが難しいだろうと思い、なすことのないまま歳月が過ぎ、今日に至っております。今回、柴工堰堤(しばこうえんてい)工事が頑丈(がんじょう)で壊れにくい構造である事を人づてに聞き及び、村民はなお一層切なる望みを我慢することができません。幸い、愛媛県の技手である武田氏が当地へ出張されることがあり、同氏に設計を依頼したところ、3,000円余りで新築出来ることになりました。また、小松村第二区(大字南川)は、元々共有の山林176町を所有しており、近ごろ「松立木」が非常に繁茂(はんも)(注6)しているため、これを伐採(ばっさい)すれば、右新築費を充分捻出(ねんしゅつ)することができます。また、溜池の新築ができた場合は、別紙収穫比較書に記載しているように、当地区内の畑反別14町2反7畝歩、及び森林の内5町余歩は水路に接しているため、かんがいに都合が良く、徐々に開墾(かいこん)(注7)して田面にする見込みが立っているため、今回のお願いをお許しくだされば、現在悲境(ひきょう)(注8)に陥っている人民を救うことができ、実に将来無尽(むじん)(注9)の宝庫を開くことができ、郷土が繁栄することは必然のことでございます。

 また、今回の溜池の敷地(土地・用地)は字大谷川の上流にあるため、新築の後には、水害が少なくなり、土砂流出を防止することができるという利益もあり、実に一挙両得の計画と信じ、いずれにしても本村(南川)第二区の事業と致したいのでございます。

(原文の中に不適切な表記があったため、一部訂正しています。)

(注1)欠乏・・・乏しいこと。不足すること。
(注2)大旱魃・・・特にひどい「ひでり」。特に農作物に必要な雨が長期間降らないこと。
(注3)枯渇・・・水がかれること。かわいて水分がなくなること。
(注4)貧窮・・・貧しく生活に苦しむこと。
(注5)往古・・・過ぎ去った昔。大昔。
(注6)繁茂・・・草木が盛んに生い茂ること。
(注7)開墾・・・山野を切り開いて農耕できる田畑にすること。
(注8)悲境・・・悲しい境遇。
(注9)無尽・・・限りがないこと。

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