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水の歴史館 黒瀬の記憶 4.二度目のダム計画

ページID:0070412 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示

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黒瀬の記憶

4.二度目のダム計画

山崎地区(左)と大畑地区(右)の写真
山崎地区(左)と大畑地区(右)
大畑地区 立ち退きの跡(昭和43年)の写真
大畑地区 立ち退きの跡(昭和43年)

 昭和37年(1962)制定の新産業都市建設促進法に基づき、全国で15地域が候補地となり、その中に東予地域も含まれていましたが、昭和38年(1963)7月東予新産業都市内定の際に、国から「東予地域には水がない。」と指摘されました。
 そこで、日量24万トンの工業用水が確保できるダムを黒瀬に建設する計画を立て、やっとのことで東予新産業都市の内定が得られたわけです。
 逆を言えば、黒瀬地区の人々の理解と協力が無ければ、ダムは建設できなかったわけで、ひいては、現在の東予地域の産業集積は実現しなかったといっても過言ではありません。
 まず、昭和38年に県の予算で黒瀬ダムの調査に取り掛かりました。昭和39年1月には、正式に東予新産都市の指定を受け、昭和39年度に国の調査費が計上されました。以降、本格的な調査が始まり、神拝に調査事務所が設置され、昭和40年度には調査費がさらに増額されました。昭和41年度には工事費の予算が計上され、黒瀬ダムの建設工事が始まり、調査事務所は黒瀬ダム建設事務所と看板を替えました。

黒瀬ダム定礎式の写真
黒瀬ダム定礎式
工事中の黒瀬ダム堰堤(昭和47年)の写真
工事中の黒瀬ダム堰堤(昭和47年)

 ダムの建設が始まると、当然補償の問題がおきました。黒瀬ダム水没者それぞれの利害関係が必ずしも一致せず、補償交渉は難航を極め、反対運動もあって、昭和41年から昭和43年までの3年間は工事に着手することが出来ませんでした。
 そんな中、県が国に要求した予算額9億6千万円に対し、第1次査定で認められたのは2億1千万円に過ぎず、ダムの建設を中止せざるを得ないという極めて深刻な状態になっていました。
 その後の陳情により、「水没者全員との補償交渉が昭和44年(1969)1月末までにまとまるのであれば、6億円の予算増額を認める。」ということになりました。
 補償交渉を重ねる上で、水没者には満足の行くものではありませんでしたが、昭和44年2月12日には80%以上が用地買収に応じることとなりました。
 その結果、6億円の増額予算が確定し、黒瀬ダム建設中止の事態は回避され、以降、本格工事に着手し、昭和48年3月に黒瀬ダムは完成しました。
 こうして、水没者の多くは、新天地を求めて旧西條市内や河原津新田(旧三芳町)、黒瀬団地(飯岡)などへ移転していきました。

完成間近の黒瀬ダム堰堤の写真
完成間近の黒瀬ダム堰堤
黒瀬ダム貯水開始(昭和48年1月)の写真
黒瀬ダム貯水開始(昭和48年1月)

黒瀬ダムの構造・諸元等についてはこちら(黒瀬ダムの歴史)をクリックしてください。(別ウインドウで開きます。)

黒瀬ダム年表
西暦 年号 出来事
1939 昭和14年 西條町長・神戸村長・大保木村長・橘村長を中心に、加茂川河水統制期成同盟会運動を活発化
1940 昭和15年 8月 愛媛県が黒瀬ダム建設計画(県営4か年計画)の説明会を黒瀬村で実施
1941 昭和16年 愛媛県がダム建設予定地のボーリング調査等を実施(事務所、労務者住宅の建設完了)
1944 昭和19年 予土線を軍用道路として整備することが決定し、黒瀬ダム事務所の資材、器具類は全て予土線建設工事に移行
黒瀬ダム建設工事中止
1957 昭和32年 10月 加茂川水系開発調査特別委員会設置
1961 昭和36年 11月 加茂川総合開発調査開始
1963 昭和38年 7月 東予新産業都市内定
9月 地元関係者による「黒瀬ダム水没対策協議委員会」発足
1964 昭和39年 1月 東予新産業都市決定
4月 黒瀬ダム建設事業(県営)着手
1966 昭和41年 補償交渉が難航
昭和43年まで工事が着工できず
1967 昭和42年 1月 黒瀬ダム総合対策委員会設置(西條市議会及び関係団体)
11月 補償交渉に関する基本協定書の調印
12月 河川管理者と工業用水道事業者・電気事業者との間で「加茂川総合開発事業に関する基本協定書」「黒瀬ダムの建設に関する基本計画書」「工事委託協定書」が締結
1969 昭和44年 3月 水対推進派の28世帯と補償交渉が妥結、個人契約完了
4月 三芳町楠河干拓に15世帯が入植
6月 水没未調印者(27名)が現地へ座り込み、工事用道路の工事施工を妨害
1971 昭和46年 3月 西條地区工業用水道事業届出
    西條地区:96,500立方メートル/日
    新居浜地区:102,500立方メートル/日
    壬生川地区:30,000立方メートル/日
5月 通産省が工業用水道事業を受理
7月 ダム本体工事に着手
1972 昭和47年 4月 加茂川総合開発事業の全体計画が建設省から認可
1973 昭和48年 1月 黒瀬ダムに灌水を開始
3月 黒瀬ダム完成

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