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西条地方の金棒掘りは、藩政時代においては肩掘りでしたが、明治時代に入るとテコ棒を利用した掘削方法に改良されています。粘土を注入し孔壁を保護しながら掘り進むのも、最後に金棒を抜いて、あとへ節を取った真竹を接続したものを井戸側として挿入するのも同じですが、竹筒と竹筒を接続するものがトタン板を丸めたものに変わっています。
西条市では昔から「うちぬき」工事が盛んに行われていますが、西条市氷見新開(しんがい)や西条市楢木(ならのき)にある猪狩(いがり)温泉(井戸深さ80m)、また、旧東予市の三津屋新田などでは「上総掘り」で多くの井戸が掘られています。
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三段継ぎの櫓は下から梯子2、「れんこん」(節を取った孟宗竹のこと)1で高さが約20メートルで、張り線で櫓が倒れないような構造になっています。 組み立てや解体などは手際よく出来ますが、あまり深く掘れないという欠点がありました。 鉄棒のあまりの重さにテコ棒では操作が出来なくなることもあったようです。また、衝撃を吸収する装置がなかったため、鉄管と鉄管との継ぎ目に負荷がかかりすぎ、この部分が傷むことが多かったようです。 |
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6人で作業をする場合、万力のところに親方(写真右側)、テコ棒の上に「上足」(うわし)、テコ棒の前に「元てこ」が二人、後に「先てこ」を2人配置しています。 「上足」は梯子(はしご)に近づいたり、離れたりしながらテコ棒を踏み、鉄棒を「れんこん」に入れたりします。鉄管と鉄管を接続するのも「上足」の仕事で、絶えず梯子(はしご)を昇り降りします。これは全て自分の前を上下する鉄棒のつなぎ目の位置から、その必要性を判断します。 「元てこ」はテコ棒を通して手に伝わってくる感触で、地下の状況を判断し 親方へ伝え、テコ棒の動かし方を変化させます。 「先てこ」はもっとも初心者でテコ棒を放り投げる役目です。 |
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テコ棒を下げたときに万力(まんりき=鉄棒の止め金具)とクサビの締め付けで鉄棒をつかみ、テコの原理で鉄棒を押し上げます。テコ棒が上がると万力が鉄棒を伝ってすべり下りて来ます。そのときに親方が「あぶみ」を踏みます。踏み方で鉄棒が回転します。同じ要領を繰り返しながら徐々に鉄棒が押し上げられていきます。 ある高さまで押し上げたあと下の万力をはずし「そーれー」の掛け声でテコ棒を「打ちあて」に「カーン」と打ち付けた瞬間、親方が上の「万力」や「亀さん」をはずします。すると鉄管が勢いよく音を立てながら地中深く落ちていきます。この作業を繰り返しながら掘り進んでいきます。 監修:三木秋男氏 |