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人が入れる直径1mほどの縦穴を掘り、人力で地下水の水脈(帯水層)に到達するまで穴を掘りつづけていきます。大昔には側(がわ)として、木をくり貫いたものや木枠などが使われたようですが、近世になると、内壁に瓦や人の頭の大きさほどの石で石積み(空石積み)を行い、内壁の崩落を防ぎながら掘削していました。地層の硬さや帯水層などによっても井戸の深さは異なりますが、一般的には掘井戸は地下水位の浅いところで、自由地下水が豊富なところに発達した井戸ということがいえます。
西条市に現存している掘井戸は、孔底(こうてい)までの深さが7~10m程の井戸が多いようですが、伊曽乃神社(西条市中野地区)の井戸や、湯之谷温泉(西条市洲之内地区)の泉源井戸のように、孔底までの深さが約20mのものもあります。
掘井戸は、たまに畑の散水や農業用水用などに造られることもあり、石積みの替わりにコンクリート管が使われますが、雨や汚水などの影響を受けやすいので、このような掘井戸(石積み)は次第に使われなくなってきました。
掘井戸 地上部分(石の井戸枠) |
掘井戸 地下内部(空石積み)
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昔は井戸屋形(いどやかた)に滑車を取り付け、釣瓶桶(つるべおけ=水を汲み上げる容器)で水を汲み上げていました。大変な重労働でしたが、時代の発達と共に釣瓶井戸から手押し井戸ポンプ(ガチャポンポンプ)へ変わり、さらに家庭用電動井戸ポンプへと変わっていきました。 ※ 井戸屋形とは、井戸のわきに柱を立てて、その上に屋根をかけた簡単な建物のことをいいます。 |
井戸側は時代の発達と共に木枠などから石積みに変わり、さらにコンクリート管へと変わっていきました。現在では、上記の写真のような井戸もコンクリート管の井戸も利用されなくなったため、埋め立てられることが多く絶滅寸前の状態です。 今、このようなアンティークな井戸を作ろうと思っても、石工を兼ねた井戸掘り職人がいないため造れないのが実情です。 |
釣瓶井戸 井戸屋形に滑車をかけて釣瓶桶で水を汲み上げるものを釣瓶井戸といいます。釣瓶桶は通常2個で1セットとなっています。古くは滑車も釣瓶桶も木製でした。桶は当初角桶でしたが、近世では円筒形に鉄のたがをかけたものとなり、昭和の初めにはブリキ製の釣瓶桶へとへと変わっていきました。
滑車と釣瓶桶(木製の円筒形) 車:西条市小松町 満田敏幸氏蔵
釣瓶桶(ブリキ製) 近代の釣瓶桶 |
道前平野の撥釣瓶による揚水風景 柱の上部に支点をとり、孟宗竹の竹棹(たけざお)等を交差させ、竿尻(さおじり)に石を詰めた袋などを縛りつけ、竿の先端から細いロープを吊り下げて釣瓶桶と結束させ、天秤(てんびん)を応用して水を汲み上げます。
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手押し井戸ポンプ その1 西条市 石田地区 |
手押し井戸ポンプ その2 西条市 東町地区 |
現在では手押し井戸ポンプを見かける機会が非常に少なくなりましたが、このポンプの絶滅を進めたのは、昭和20~30年代の電動井戸ポンプと水道の普及だといわれています。
西条市内にはまだ手押し井戸ポンプが残っているところがあります。左側のポンプは、かなり古い手押し井戸ポンプ(ガチャポンポンプ)ですが、整備が行き届いており、今でもバリバリの現役で活躍しています。右側の手押し井戸ポンプは最近取り付けられたばかりです。
団塊の世代の人たちが子供の頃、ポンプのハンドルをガチャガチャと音を立てながら漕(こ)いで井戸水を汲み上げたものです。今ではこのようなポンプを見かけることも少なくなりましたが、町の片隅で、再び出番が来るのを待っています。
日本ではまだ手押し井戸ポンプが製造されており、発展途上国などへどんどん輸出されています。もし地震等でライフラインが被害を受けたとしても、電気不要のこのポンプなら水を汲み上げることが可能です。非常時用に、メタボ対策に1台いかがでしょうか。