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水の歴史館  泉掘り(枠組井戸)とポンプ場の歴史  2.昔のかんがい用具

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年1月13日更新

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泉掘り(枠組井戸)とポンプ場の歴史

2.昔のかんがい用具

 では、河川や泉、ため池などからかんがい用水が取水できなかったときは、どのようにしてかんがい用水を確保したのですか。

【栗田】 一枚ごとの田んぼの隅(すみ)に人力で掘井戸(ほりいど:内壁に人の頭の大きさほどの石で石積みを行い、応力が井戸枠に均等にかかるよう円柱状に仕上げ、地上から地底に向かって掘り進む工法で造る井戸)を造り、「跳ね釣瓶」(はねつるべ)で水を汲み上げていました。
 「跳ね釣瓶」の支柱が見渡す限り林立している様は、帆船(はんせん:帆に受ける風の力を利用して走る船)が停泊している大きな港のようであったといいます。また、水が一番必要な時期(代掻きから出穂水まで)には、井戸の淵(ふち)で寝起きして、かんがい用水を確保していました。
 昔の農業は、自然(河川・泉・降雨)やため池など、人力でかんがい用水を供給することができる範囲が水稲の作付けの限界でした。
 ひとたび渇水になると、水を確保するために、昼夜を問わず過酷な労働をするのが当たり前で、手はひび割れ、足も血と土にまみれ、汗まみれで作業をしていました。休息時間といえば豪雨の時のしばらくしかありませんでした。

 2.昔のかんがい用具の写真1枚目

2.昔のかんがい用具の写真2枚目

井戸は、どこを掘っても水が出るというものではありませんが、そのような場合、どうやって稲を栽培したのでしょうか。

【栗田】 水まわりが悪く、井戸を掘っても水の出ないところでは、やむを得ず畑にして、陸穂(おかぼ・りくほ:水を張っていない田畑で栽培される稲)を栽培していたところがありましたが、今ではこの地域で栽培しているところはありません。
陸稲は水稲に比べると収穫量はやや少ないですが、耐干性(たいかんせい)、いもち病抵抗性、直播(じかまき)適応性などのすぐれた面を持っています。現在、栽培されている地域は、北関東および南九州の一部に限られています。
 また、小松や丹原地区などでは、水稲で作付けできない田んぼのことを畑田(はただ)とよび、今でも田地(でんじ:田となっている土地)の呼び名として残っています。
(文章)ホームページ「みんなの農業広場」「農作業便利帖・陸稲栽培」より一部引用
URL:http://www.jeinou.com/benri/rice/2008/08/130918.html


 跳ね釣瓶(左上) 周敷(しゅう)神社(右) 周布(東予地区)の写真
跳ね釣瓶(左上) 周敷(しゅう)神社(右) 周布(東予地区) 
資料:日野和煦(にこてる)の西條誌より 天保13年(1842)
(天保13年には現在の周敷神社の南側に跳ね釣瓶があった)

「跳ね釣瓶」は、いつ頃導入され、いつ頃姿を消したのでしょうか。

【栗田】 人間が自らの生活及び家畜、農作物に水を供給するために造り出した最も古い水汲み用具は、「跳ね釣瓶」だといわれています。紀元前1,500年、今から3,500年前にエジプト地方で使われだしたといわれています。
 日本にその技術がいつ頃入ってきたかは定かでありませんが、かなり古い時代から使われていたものと思われます。 この地域において、「跳ね釣瓶」が完全に姿を消したのは昭和20年代(1945-1954)だと思います。


東予郷土館にて「踏車」(ふみぐるま)の写真
東予郷土館にて

 では、「踏車」(ふみぐるま)はいつ頃導入され、いつ頃姿を消したのでしょうか。

【栗田】 踏車は小型の水車(すいしゃ)のような形をしています。人が板羽根(いたばね)の上に乗り、板羽根の角を踏むことで羽根車を回転させ、水を高いところへ押し上げるかんがい用具です。
 文政5年(1882)の大蔵永常の著作『農具便利論巻之下』によると、寛文元年(1661)~寛文12年(1672)の間に、大坂農人橋の京屋七兵衛と京屋清兵衛が発明し、宝暦元年(1751)~安永9年(1780)頃にかけて、農村のかんがい用具として日本全国に広まっていったと記録されています。
 踏車は、かんがい用水が不足したときに使われるものです。主に自然に水を汲み入れることができない、高いところにある田んぼへ水を汲み上げる(押し上げる)ときに使われるかんがい用具ですが、田んぼの横に水が流れていることが必要です。このかんがい用具は、構造上、水車の半径(約87cm:東予郷土館の踏車)より上に水を持ち上げることはできませんでした。
 大正3年(1914)以降、周桑地域に陸上ポンプが普及したため、「踏車」は昭和初期頃に使われなくなりました。

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