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水琴窟のルーツを探ると、江戸時代の文化・文政(1804-1830)の頃までさかのぼることができます。庭園に手水鉢(ちょうずばち)(注1)が盛んに造られた頃、庭園施設として取り扱われた水琴窟は、大正末期まで見られていましたが、いつの間にか姿を消し、その存在は忘れられていました。その水琴窟が昭和59年頃、新聞やテレビ等で「幻の水琴窟の発見」と大きく報道され話題となり、各地で復元・保存運動が起こり、また新たに造られるようにもなってきましたが、まだまだ多くの人に知られてないのが現状です。
江戸時代、日本庭園の庭師によって考案されたという水琴窟は、日本庭園最高の技法のひとつで、庭師の秘伝として江戸時代から現代に伝承されています。
ここ西条市にもいくつかの水琴窟が現存しており、今日は西条市大保木の極楽寺にお伺いしました。
極楽寺 三帰庵(さんきあん)の蹲踞(つくばい)の中にある水琴窟
水琴窟について極楽寺の神野顕彰氏と、松山市の水琴窟師中村洞水(どうすい)氏のお二人からお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。