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国史跡 永納山城跡

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年9月20日更新

国史跡 永納山城跡

TOP | 発見から現在までの歩み | どのような城 | 発掘調査の様子

お知らせ

 

「永納山城跡」発掘調査現地説明会

      平成28年度
      平成27年度
      平成22年度
      平成21年度


 

 

 永納山城跡は、今からおよそ1300年前に築かれた「古代山城」と呼ばれる城の一つです。
 西条市では、この貴重な遺跡を守り伝えていくために、現在発掘調査を実施しています。

 

永納山城跡の写真
永納山城跡遠景(西から) 東側眼下には燧灘が広がる

永納山城跡って?

永納山城跡の位置

行政上の位置:西条市河原津および今治市孫兵衛作
地理的な位置:高縄半島の付け根に位置し、瀬戸内海の要衝である来島海峡を一望できる場所に築かれています。

永納山遺跡行政上の位置
行政上の位置(PDF形式531KB

史跡指定

指定年月日:平成17年7月14日(追加指定平成19年7月26日)
指定面積:406,427.54m2(甲子園球場 約10個分)

遺跡の性格

7世紀後半前後に築かれた古代山城の一つと考えられています。

日本で最も古い城

 日本の城は造られた時代によって(1)古代山城、(2)中世山城、(3)近世の城と大きく3つに分けられますが、古代山城はその中でも最も古い城です。

全国的にも貴重な城

 古代山城は、現在のところ西日本を中心に25カ所しか発見されていません。愛媛県では永納山城1カ所のみで、四国でも3カ所しか確認されていません。これに対し、中世の城は県内だけでも約1200カ所が確認されています。(愛媛県教育委員会1987『愛媛県中世城館跡-分布調査報告書-』)

 時代背景も異なるので単純に数だけでは評価できませんが、古代山城は非常に数の少ない貴重な遺跡といえます。

西日本の古代山城分布図
西日本の古代山城分布図(PDF形式972KB

築城の背景

7世紀後半の東アジアの地図

7世紀後半の東アジア(PDF形式279KB

 当時の日本は中国や朝鮮半島の国々との交流が盛んでした。しかし、朝鮮半島では新羅・百済・高句麗の三国が半島の統一をめざし争い、中国では唐が勢力の拡大を図っていました。

 このような中、唐と新羅が手を組んで百済を滅ぼすという出来事が起こりました。百済は復興の応援を日本に頼み、日本はこれに応え、半島につわものを進めることとなりました。

 その結果、歴史の教科書にも登場する大事件、「白村江の戦い」が起きたのです。これが西暦663年の出来事であり、その結果、百済・日本の連合軍は敗れてしまいました。

 日本はこの敗戦により、唐や新羅に侵攻される危険性が出てきました。これらの危機に対所するために西日本の要衝に城を築きました。

 これらの記事は「日本書紀」に記されています。すべての城の名が記載されている訳ではないのですが、現在確認されている古代山城はこの大事件を前後する時期に造られたと考えられています。

 

 

 

発見から現在までの歩み>

 

お問い合わせ

教育委員会 社会教育課 歴史文化振興係
電話:0897-52-1628


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