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国史跡 永納山城跡 永納山城はどのような城

ページID:0022798 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示
国史跡 永納山城跡

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永納山城はどのような城

 「城」というと、どうしても堀で囲まれ、高い石垣や天守閣のあるような城をイメージする方が多いと思います。しかし、そのような城が現れるのは基本的には戦国時代以降のことで、古代の城はそれらとは全く異なった姿をしています。

 では、永納山城はどのような城だったのでしょう?

 これまでの調査によって、列石と土塁による城壁が良好に残っていることが明らかになっています。この城壁が古代山城を最も特徴付ける遺構ともいえます。城壁の長さは約2.5kmで、古代山城の中では一般的な大きさです。

 それでは、この城壁に囲まれた内部にどのような施設が存在していたのでしょうか。この疑問を解明するために平成18年度から確認調査を実施しています。
 その結果、遺跡の北部では城門の可能性の高い遺構を検出しました。

現在発見されている遺構

城壁

 古代山城の城壁は、基本的に「土塁」と呼ばれる土の壁が巡らされます。そして、その基礎の部分に幅数10cm~1m程度の石を一列に並べているのが特徴です。これらの石を列石と呼んでいます。
 また、険しい山中には自然地形をそのまま利用した城壁部分も確認できます。

城壁の写真

山の尾根に一列に並ぶ列石

城壁の写真

斜面の腐葉土を除去すると、列石の上には固い土塁が現れます。

城壁の写真

土塁は「版築」という工法でたたきしめながら積み上げられ、土塁の断面が縞模様になっています。


城門

 城の出入り口部分です。これまで水門推定地とされていた場所で、水門の横に造られた門と考えられる遺構の一部を確認しました。残念ながら、大半は後世の開発のために残存しておらず、具体的な構造は不明です。

城門の写真

谷間を埋めるように造成がなされ、その上に列石や柱穴を検出しました。
写真左側の黄色い土が地山で、右側の灰色の土が谷を埋めた造成土です。

城門復元イメージ

城門復元イメージ(PDF形式394KB

鍛冶炉

 鉄器作りを行うための炉です。日本の古代山城では、岡山県の「鬼ノ城跡」に続き2例目の検出となり、城内活動の一端が明らかになりました。現在確認された鍛冶炉は一基ですが、ふいごの羽口など炉を使用した際の遺物が複数出土していることから、鍛冶炉も複数存在していた可能性があります。



<発見から現在までの歩み

発掘調査の様子>

お問い合わせ

教育委員会 社会教育課 歴史文化振興係
電話:0897-52-1628

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