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伊予聖人 近藤篤山

ページID:0062386 更新日:2020年4月20日更新 印刷ページ表示

今なお讃えられる「伊予聖人」

 
近藤篤山

近藤 篤山(こんどう とくざん) 1766~1846

 

江戸時代後期の儒学者であり教育者です。小松藩に賓師(ひんし=藩主の先生)として招かれ、40年にわたって領民の教育に携わりました。
篤山先生は、人々に対し心の持ち方や日々努力することの大切さを説き、自らもそれを実践しようと努めました。その教えは領民を大いに感化し、誠実な人柄は広く慕われて「伊予聖人」と呼ばれました。

小松地域では今でも近藤氏を「篤山先生」と呼ばれ、称えられています。
西条市では、文化を実感できるまちづくりをめざし、豊かな人間形成を目的として、篤山先生の業績を広く紹介・顕彰するためさまざまな事業に取り組んでいます。

 

 

年表
年号 西暦 出来事
明和3年 1766 宇摩郡土居町の高橋家に生まれる
明和8年 1771 生母の別離にあう
安永4年 1775 家産傾き、家族で別子銅山に移り、父が銅山役人となる
天明8年 1788 大阪で儒学者、尾藤二洲(びとうじしゅう)の塾に入門する
寛政3年 1791 二洲先生、幕府儒官となり江戸へ移住する
寛政6年 1794 江戸の昌平こうに入門し、再度二洲先生の教えをうける
寛政9年 1797 江戸での勉学を追え郷里へ帰る
寛政10年 1798 川之江に私塾を開き門弟を教える
享和3年 1803 小松藩にまねかれ、藩校「養正館」儒官となる
文化3年 1806 現在の屋敷に移る
天保13年 1842 隠居をゆるされる、また40年以上の教育・徳行に対し、幕府より表彰される
弘化3年 1846 81才をもって没す

 

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