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【戦後80年企画】市民の皆さまの『平和への思い』を紹介します

10 人や国の不平等をなくそう16 平和と公正をすべての人に
ページID:11362944 更新日:2025年10月21日更新 印刷ページ表示

 

【戦後80年企画】市民の皆さまから寄せられた『平和への思い』をご紹介します

​西条市『平和への思い』年代別集計結果(10月19日時点:144件)

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戦後80年を迎える本年、西条市では、
戦没者への哀悼を通じ、命の尊さと恒久平和の実現を次代へ継承するとともに、平和の大切さを共有するため、「平和への思い」を込めたメッセージを募集しました。

市民の皆さまから寄せられた150件以上の平和への思いを紹介します。

多様な世代が語る「平和への思い、願い」をぜひご覧ください。

年代別にご紹介します

(年代をクリックすると、各年代のメッセージ掲載部分へ移動します。)

【~10代】の方々からのメッセージ

 
6 せんそうをおこさないためには、やさしくはなす。あいさつをする。おねえちゃんとけんかをするときは、あやまる。と、おもちゃでかいけつする。
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せんそうをおこさないために、わたしは、みんなのためにがんばります。わたしは、みんなとなかよくなれると、いいきもちになりますよ。わたしは、せんそうにならないようにします。わたしは、みんなとなかよくなりたいです。わたしは、みんながわるくならないように、がんばります。わたしは、みんながうれしくなるようにがんばります。

7 せんそうをおこさないために、おにいちゃんとけんかしたら、おもちゃでこうしょうする。
7 せんそうをおこさないために、ぼくは、ともだちとなかよくなりたいです。いっしょにあそぼうといいたいです。
6 せんそうをおこさないために、わたしは、みんなにやさしくするために、なかよくなります。こまっていたら、たすける。
6 せんそうをおこさないために、いもうととけんかをしたら、「ぬいぐるみをとって、ごめんね。」とあやまる。​
8 くにとくにといっしょに、食べものをわけたら、せんそうがなくなるはず。​
8 くにとくにが、水としょくりょうをわけあう。​
7 せんそうは、くにとくにけんかしているけど、なかよしになればいい。​
7 せんそうをやめたらいい。
8 せんそうをしてたのしいのか。じぶんのこどもだったり、しんでもかなしくないのか。いまのパレスチナ人みたいに、どんどん人がへっていくから、せんそうは人をきずつけたり、人がへったり、こどもたちがしんだり。せんそうは、人をきずつけます。人をきらいにならない。​
8 せんそうをおこさないために、おたがいをきづかう。​
7 国と国がなかよくできたらいいと思う。​
9 せんそうをおこさないためには、話し合いをしたらいいと思いました。なんで話し合いかというと、せんそうはいけないことだから、なんでせんそうをしなきゃいけないのかをきいたら、せんそうをおこさないと思う。せんそうをしたら、人は死んじゃうから、その死んだ人のきもちになってもらって、かなしいということを考えると、せんそうはなくなる。​
8 話あいをして、せんそうをやめる。せんそうがあったら、国の人たちがかなしい思いになるから、ゴミ拾いやぼきんをして、せんそうで家がなくなってしまった人たちも、そのぼきんでこまらなくなるから。​
8 いろいろなさくせんとかをかんがえて、せんそうにならないようにする。いろいろな国と、せんそうはもうやめようとそうだんをする。​
9 せんそうを起こさないために、国のだいとうりょうたちと話しあいをしてきめることだと思う。こうげきをしたらやりかえしてくるから、やりかえさないと思う。​
10 戦争でこうげきされても、こうげきをしないといいと思う。戦争をやめるために、話し合いをするといいと思う。こうげきをしなかったら、こうげきされないから、こうげきをしないといいと思う。​
9 戦争をおこさないためには、みんなが安全安心してくらせる町にするために、相手がうれしいことばやうれしいことをして、人々が安心してくらせる世界にする。気持ちよくすごせるような町になると、戦争は絶対にこないと思っ​た。
11 戦争を起こさないために、できるだけケンカや言いあらそいをしないように​する。
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戦争を起こさないために、人しゅさべつをなくす。原水ばくを作らないという。全国の文化や食べ物などをわける。戦争をしないというポスターを作る。地球かんきょうのことを考える。年に一度、全国の文化まつりをする。

10 戦争を起こさないためには、まず戦争用のぶきを作らなかったらいいと思います。戦争のためのぶきがあるから、戦争をしてもぶきがあるからだいじょうぶと思うから、ぶきがなくなれば、戦争は起こりにくいと思いました。​
10 平和のためには、平和のべんきょうをしたり、外国の人と仲良しになるのが大事だと思いました。これからは、英語のべんきょうをしたいです。​
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戦争を起こさないためには、かくへいきなどはもたずにする。そして、戦争のむなしさをしらない人は、ひばくちなどにいくと戦争のむなしさがわかる。力でかいけつしようとしない。話しあうことが大切。

12 しげんや土地、食料など、いろいろなことで戦争が起こるから。そんな、どこの国がゆうふくにくらせるとか、そんなんじゃなくて。しげんや食料をわけあたえたりして戦争をせず、みんなでなかよくくらして、みんなで楽しくくらしていけばいいと思う。​
12 戦争を起こさないために、外国の人に対する差別をなくしたり、げんしばくだんやじゅうをもたないようにする。へんけんで人をきずつけないようにす​る。
11 簡単に出来ることではないと思うけど、各国がおたがいを助け合ったり、協力して進んでいけば、戦争も起きずに、技術も発展するんじゃないのかなあと自分は思い、他にも国が同じ目標に向かっていけば、協力できるようになるんじゃないかなあとも思いました。​
12 ぼくは、戦争を起こさないために、国と国どうして仲良くしたらいいと思います。国どうしで、仲良くしていたら、戦争が起こらないと思ったから、国と国どうしが仲良くすればいいと思いました。​
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戦争を起こさないためには、まず、どこの国でも仲よくなることが大事だと思います。今、日本は、もたない、作らない、もちこませない考えかたをしているので、外国の国も日本の今言ったひかく三げんそくを意識すると、戦争が少しでも減ると思います。

7 ​せんそうをされてもかえさない。​​

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【20~30代】の方々からのメッセージ

 
24 世界が平和になりますように。また核つわもの器がなくなりますように。
26 戦争を 語る人たち いなくなる でも忘れない 伝え続ける
28 実際に戦争体験をした世代がほぼいなくなってきたので今こそ戦争体験の資料として残して正しい歴史を後世に残していって欲しい
30 平和は抽象的な理想ではなく、子どもたちの笑顔、働く人々の安心、そして高齢者や障がいのある方を含む全ての市民が尊厳をもって暮らせる日々の暮らしの積み重ねであると考えます。
30 「人が人の命を奪うことがあってはならない」ということを皆が分かっていれば、世界は平和になる気がします。
31 戦争の傷跡は戦後80年がたった今でも残り続けています。戦争のない世界を願ってやみません。
32 祖父母から戦争中の出来事や家系について教えてもらったことがあります。松山市在住であったため松山大空襲の悲惨な出来事を聞いて恐怖を感じたことがありました。先祖の事を聞くとフィリピンでの戦死、特攻等若くして亡くなった先祖がおりました。現在、自分が生活できているのも悲惨な出来事を教訓にし平和な社会になっているため次の世代にも平和な社会を繋いでいきたい。
32 小学生の頃、祖父母から戦争体験談を聞く宿題があり、その時に聞いた話が今でも心に残っています。祖父母も亡くなり、戦争を経験した人たちが少なくなっていることで、戦争の恐ろしさや身近さを知らない人たちが増えていくとは思いますが、語り継ぐことの大切さを感じています。私たちに出来ることを考えていきたいと思います。
34 戦後80年、全世界で戦争がない日々が来ることを願っています。

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【40~50代】の方々からのメッセージ

 
40 平和は祈るだけでは守れない私たちの手で、この国を守ろう
43 思い返しますと、私の祖父や祖父の兄弟は、満州やサイパンの地に赴きました。幼いころ、その体験を聞かせていただいた記憶はありますが、幼さゆえに細かなところまでは理解できず、今となってはもっと耳を傾けておけばよかったと悔やまれてなりません。
44 毎日平穏な日常を送らせていただけているのもひとえに日本の礎を築いてくださった当時の軍人さんのおかげだと思います。
国の未来のためにと命懸けで戦ってくれたから。
自分は亡くなっても日本を救うことができるならと日の丸飛行隊で特攻された方のことを思うと毎日の日常が当たり前ではないんだな、いろんな人の努力や貢献がなければこの暴力が支配するわけではない言論での共生ができることに日々感謝し目の前のことを精いっぱい生きることが戦没者に対しての供養になるように思います。暴力はいけませんが抑止力がなければ暴力に飲み込まれるかもしれません。
平和を維持するためにもみんなで日本のことを思い、力を合わせて少しずつでいいので継続して暴力が支配しない日常を維持していきたいと思います。
44 「平和とは、人の心の中から、争いの火種を無くすこと。ただ戦争がないことを平和とは言わない。」と、ある本で読んだ。一人一人の心が穏やかであることを平和というのではと思い、今あることへの感謝と思いやりを忘れず、心穏やかにいたい。
45 戦後80年に亘り日本が戦争をしなかったことは先人の戦争の苦しみを忘れずに来たからで素晴らしいことだと思います。ただ、世界では今なお戦争や争いが絶えず人間は進歩できない存在なのかと残念に思います。
45 私の祖父母は戦前に満州で出会い、結婚しました。祖父母は孫である私に「満州での生活は良かった、あの頃に戻りたい」とよく語っており、思い出として残っています。おそらく、当時の満州での暮らしは比較的豊かであり、日本の移民政策に従って新天地での生活基盤を築こうと努力していたのだと思います。しかし、そのような生活も太平洋戦争の拡大によって大きく翻弄されました。戦争は平和とは真逆の行ためであることは疑いありませんが、当時を生きた人々にとっては「祖国を守り、家族の生活を維持するための選択」であった面もあり、その中にも一種の「平和への思い」があったのではないかと思います。歴史を振り返るとき、私たちは戦争の負の側面だけでなく、そこに至った背景や人々の心情にも目を向ける必要があると感じます。
現在の私たちが享受している平和で豊かな生活は、こうした先人たちの営みや犠牲の上に成り立っています。だからこそ、平和を語る際には単に「戦争は悪だ」と言い切るだけでなく「なぜ戦争に至ったのか」「人々は何を守ろうとしたのか」という複眼的な視点を持つことが大切です。世界には今も戦争や紛争が続いており、それぞれに複雑な歴史的背景や事情が存在します。単一の価値観や一面的な判断で断じるのではなく、多様な立場に思いを寄せる姿勢こそが平和の第一歩になるはずです。
では「平和への思い」とは何か。私自身がたどり着いた答えは、一人の人間として他者に寄り添い、他者の立場に共感し、助け合う心を持ち続けることです。平和とは決して抽象的な理想ではなく、日常の人間関係の積み重ねから生まれるものだと思います。ただ同時に、世の中のすべての人が同じ考えを持つわけではなく、現実には侵略や武力行使を選択する国家や民族も存在します。その現実を直視したうえで、私たちは「個人としてどうあるべきか」と「国家としてどうあるべきか」を切り分けて考える必要があります。
個人としては、他者を思いやる姿勢を持ち続けることが平和の礎となります。国家としては、第一義的に国民の生命と財産を守る責務を果たすことが求められます。その際には、戦争の歴史的経験や民族文化を踏まえ、日本国らしい誇りある対応を追求するべきだと考えます。
過去の歴史に学び、先人の思いに感謝しながら、私たちは現代にふさわしい「平和の在り方」を模索し続ける責任があります。それは決して遠い理想ではなく、今を生きる私たち一人ひとりの姿勢と選択の中に息づいているのだと思います。
46 メディアを通してさまざまな形で戦争体験について触れる機会はあります。ひとかたで、経験者からじかに話を聞くことの大切さも感じています。個人的にもこれまで、戦争体験者の家族から聞いた話や、平和学習での被爆者体験談が最も心に残っています。戦後80年を迎えた中、経験者は減りますが、私たちが直接聞いた話を、家族や身近な人に直接「語り継ぐ」ことが大切だと感じています
47 世界中から戦争および核つわもの器を根絶すべき。今後、戦争が起こらないことを願う
48 おいしいご飯を食べ、子どもが毎日安心して生活できる平和が続きます様に。
48 戦争によって尊い命を失われた方々、そして私たちの暮らしの安全と秩序を守るために殉職された警察官の皆さまに、深く感謝と哀悼の気持ちを捧げます。 今、私たちが穏やかに暮らせているのは、数えきれないほどの犠牲と献身のうえに成り立っていることを、いつまでも心に留めていたいと思います。
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私たちは戦争を知らない世代であり、私の両親も戦後生まれです。私が戦争を知ったのは、たまたま祖父の肩にあった銃弾の傷跡を見たのがキッカケでした。その銃弾は肩から脇の下を貫通した事、その時に同じ隊の方が振り返ると亡くなっていた事、戦地での厳しい生活の事など、自分の置かれている生活環境からは想像できない話でした。また、当時の気持ちを祖父に聞いたところ、「生きて帰ってこれないと覚悟していたから怖いとは思わなかった。生き残ろうと人の背後に隠れようとした人はだいたい亡くなった。自分は死を覚悟していたから運よく生き残れたのかもしない。」と語っていました。祖父は多く語らない人でしたし、弱音を吐かない我慢強い人だったため、その言葉が本心であったか定かではありませんが、本当は恐縮もあっただろうし、死というものと常に向き合いながら生活していたその精神状態は私の想像の範囲を超えていたであるし、私には到底耐えられないなと思いました。当時の話を実際に戦争を経験した祖父から聞けた事は大きな財産であると同時に、戦争は祖父のように命を捨てる覚悟をさせ、その家族や大切な方が苦しみ、悲しむことになるのだと理解しました。二度と戦争を繰り返さないために戦争を知らない私たちは戦手の意味をしっかり理解し祖父から聞いた話を交世代に伝えなければならないと思っています。

50 戦後80年という節目に、私たちは過去の痛みと犠牲を胸に刻みながら、未来へつなぐ平和の願いを新たにします。
戦争の恐怖と悲劇を次世代へ語り継ぎ、「対話」と「共感」をもって相互理解を育む社会を築こう。
核なき世界を願い、一人一人が手を取り合い、尊厳と生命を大切にする未来を共に歩みたい。
51 戦後80年で実際の戦争を知らない人間がほとんどとなってきている。しかし、世界に目をむけると色々な場所で戦争が勃発し悲惨な状況が発信されている。日本ではそのようなことが起こらないことを願い、自分が出来ることをしていくしかないと考える。
51 戦争なく平和な世の中になってほしい。子どもたちの未来が平和で幸せなものになるよう。
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戦争なんかいらない 武器なんかいらない 戦車なんかいらない 戦闘機なんかいらない ミサイルなんかいらない 核つわもの器なんかいらない 戦争なんかいらない つわもの器をたくさん持ってる国が強いんじゃない つわもの隊がたくさんいる国が強いんじゃない 弱いから戦争するんだ 戦争なんかいらない

52 今も自然現象による災害や、事故や事件、そうでない災害など、こわいことがたくさんあります。こわいことだらけの中で、一番こわいのがにんげんではありませんように、と思います。
52 先人は多くを語らず、後人は多くを知らず、この平和が永遠に続くと勘違いし日々を過ごし、他国の干渉に怯え慄く。今一度、良くも悪くも本当の近代日本史を鑑みる時ではないだろうか。と戦中を生き記憶のある先人が少なくなってしまった戦後80年の節目に想う。
52 平和こそ人が幸せに生きるための根元
52 戦争、もちろん私も経験したことはありません。ですので奇麗事の言葉を述べようとは思いません。私たちには当たり前に毎日がやってきます。家族がいる、大切な友たちや恋人と過ごせる、食事ができ、入浴でき、布団で寝れる、その上、遊んだりスポーツしたり音楽を楽しんだりできる。今の私たちはこの当たり前の毎日がまさか壊れるとは思ってもないと思います。
でも、この当たり前が戦争中にはなかった…この当たり前は当たり前ではなく、平和だから味わえるんです。
私は音楽の仕事をしてたくさんの人と関わっております。戦争を経験されたお年寄りもおります。皆さんと歌を歌ったり音楽ができること、これはこの上なく平和で幸せなことであると心に刻み生きていきたいと思います。
そしてこの今の平和も、過去のたくさんの人たちの思いや願いがあっての平和であることを忘れないようにしたいと思います。
53 原子爆弾が投下されたから、日本は戦争をやめることができた---というようなアメリカプロバガンダに負けず、核を投下したアメリカの責任を日本の政治家が追求できるくらい、平和の本質を語れる日本になってほしい。
54 戦争反対
54 戦争の経験はありませんが、毎日流れるテレビニュースでガザ地区の様子に心痛めています。戦いからは何も生まれない。尊い命があっけなく奪われる事実に驚愕の思いです。一日も早い戦争終結を心より祈ります。
55 今の生活に感謝するこころを忘れない
55 毎年この時期になると、戦争のドラマ等があり視聴するが、その度に平和への思いを再確認している。
55 先の大戦の教訓を今後の強力な国家造りに活かしてもらいたい。そして、二度と戦争に突入して行かない外交努力を国の指導者に強く望みます。
55 最近だと朝ドラの「あんぱん」で戦争体験とその思いを演じる場面があり、戦争が終わってから何年何十年経ってもその時のつらい思いは消える事無くずっと苦しい思いとして残るという事を感じた。戦争は、いつの時代においてもやってはならないことだと思う。
55 第2次世界大戦中、祖父が現在の高等学校に勤めていたようで、その時に空襲でたくさんの生徒の尊い命を失ったことがあったそうです。その悲痛に加え、祖父は立場上、戦争を推し進めたという罪で公職追放となり、一家でとても貧しい生活を何年もすることになったそうです。仕事を追われ、祖父は生きるためにたくさんの財産を失ったようで、もちろんそれらはもう返ってくることもありません。
今年は悲しい節目の年ですが、戦争という悲劇がひとたび起きると、このように80年もの間、癒されることのない痛み、悲しみ、そして苦しみをもたらすのだということを私たちは決して忘れてはなりません。人間の英知はなぜ「平和」のためだけに注がれないのでしょうか。その愚かさや過去の悲劇から目をそらすことなく、だれもが真の平和を求め合い、全ての命が温かく育まれ、天寿を全うできる地球であり続けてほしいと切望しています。
56 日本が経験した戦争の悲惨さは、文献や過去の映像等でしか知ることはできないが、想像を絶するものであり、人間の尊厳、命の尊さを考えさせられる。平和は当たり前に継続するものではなく、相当の努力が必要である。
現在も、引き下がることのできない主義、主張を発端に始まった戦争で、何の関係のない子どもたちが犠牲になることは、全くの理不尽である。当事者や関係機関が自らの身を切り解決する努力をすべきであり、何の関係もない人を巻き込むことは許されない。一刻も早く平和的解決に向かうよう願っている。
56 自分自身は直接的には経験していないが、当時の人たちは本当につらかったと思います。家族のことを思うと胸が切り裂かれる思いです。
2度と戦争を起こさない、平和を守り続けるために、他人事にせず、自分事として受け止めたい。
56 戦争体験者が減る中でも、平和への願いを受け継ぎ、語り継ぐことで平和への思いを薄れさせずに未来へつなぎたい。
56 私は実際に戦争を体験してませんが、まだいろいろなところで行われています。私には、戦争をする意味がわかりませんが、今、日本は戦後80年なのでこれからも、戦争がない未来を願います。
58 遺族から聞いたことです。
戦争が終結し、軍務が解かれたつわもの士が故郷へ帰る途中で捕まり、拷問を受け、大勢が収容されている所で亡くなった。妻と小さい子だけが日本に帰ってきたと。戦没者ではないが、戦争さえなければ亡くならなかった。戦争が終結した後にも尊い命を失われた人がたくさんいたと。このようなことが二度と起こらないよう平和であることを願います。
58 祖父・祖母(母の親)は、戦後、幼い子どもにはお湯で澄ました汁の身が入ったものを飲ませ、自分たちは汁だけを飲んでいた、と聞きました。祖父は、それで遠くまで歩いて家具の大工仕事をに行っていましたが、栄養失調で倒れたこともあったそうです。たとえ貧乏でも、歯を食いしばって働いて、幼い子どもたちを慈しんでいた親の愛情はとても深く、戦争は絶対にいけないものだと思いました。また、そんな親も亡くし、差別に耐えながら生きてきた当時の子どもたちの深い悲しみにも同情を禁じえません。今、世界各国で紛争があり、悲しい思いをされている方がたくさんいると思います。早く紛争が解決し、少しでも笑顔を取り戻せることを切に願います。
59 私の娘が、この国を守りたいという思いから海上自衛隊に入隊しています。今の平和な状態が続き、娘が戦地に行くことがないよう願うばかりです。

 

 

 

【60~70代】の方々からのメッセージ

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【80代】の方々からのメッセージ

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【年齢未記入】の方々からのメッセージ

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