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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.9徳田地区(後編)
また、徳能の常石山(つねいしやま)の山頂には
南北朝時代、徳田に居城を構えた
得能道綱(みちつな)の忠魂碑があります。
この碑、表面の文字は「坂の上の雲」でも有名な
秋山好古陸軍大将によるものとのこと。
詳しくはこちらをご覧ください。
広報さいじょう2010年3月号 [PDFファイル/717KB]
ここから、迷いやすいという意味での
第一の難所に入ります。
「庄屋権太夫之碑」とかかれた
渡部権太夫の石碑(五社霊神)で左折します。
階段を上ると、立派な木が張り出した
湯座八幡神社に到着します。
赤い実の木は、市の文化財のクロガネモチ。
こんな大きなのは初めて見ました。
同じ場所から、他の木(クスノキとウラジロガシ)が
生えているのも、とても珍しいですね。
地面にはクスノキの実とドングリが
たくさん落ちていましたよ。
次に向かうのは、(3)の「渡部権太夫の墓」です。
※先ほどのは「碑」でしたので注意してください。
Y字の分岐を左へ進みます。
迷う方が多いので要注意!!
公園 徳能ちびっこ広場を通り抜けると、
渡部権太夫の墓にたどり着けます。
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渡部権太夫は徳能村の庄屋で、桑村郡が圧政と凶作に苦しんだとき、幕府の目安箱に訴状を投じた。間もなく松山藩から役人が来て治政は改まったが、権太夫は藩政を誹謗した罪により、貞享3年(1686年)6月、新市(旧東予市)の刑場で処刑された。あらかじめ妻を離別するなど、禍を免れようとしたが、老母と三人の子どもは救うことができず処刑された。(中略)丹波神社の裏手の小高い場所に、5人のものと伝えられる墓が残る。
西条市観光物産協会「今どきの西条」より抜粋
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幕府に直訴して、処刑されてしまった権太夫さん。
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同罪とみなされたお母さんと3人の子どものお墓も残っています。
小高いお墓から下っていくと、丹波神社です。
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渡部公広を祀る神社。天正13(1585)年秀吉の四国制圧で戦場となった当地方には、両軍の死傷者が多く、公広は死者の霊を弔い、傷者を救済して善根を施したという。慶長3(1598)年12月1日に公広は死去した。公の生前の徳を慕って墳墓へ参詣する郷人は後を絶たず、諸病平癒の霊験あらたかであった(特に小児の咳の病に効験あり)。ここに里人、小社を建て、丹波神社として祭祀している。
「丹原町の文化財(旧丹原町教育委員会)」より
次に、2つめの難所へ挑みます。
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(…といっても、館長と一緒なので迷わないのですが)
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住宅地に入る坂を登り、道なりに進みます。
しばらく進むと、林道のような様子に。
平成16年災害の折の
災害復旧工事の碑も立っています。
大きな一つ目のため池(奥池)を過ぎると、
次の目的地 高知八幡神社に
裏の参道から入れます。
この道沿いにはツツジの群落があり、
古くから「ツツジが丘」として知られています(市指定天然記念物)。
さすがに今の時期は咲いていないと思いきや、
真っ赤なツツジ。
取材日含め、天候のあたたかさに
季節を勘違いしたようです。
案内板の説明を記しておきます。
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この地に1列に並んで茂り、自生していたものを時の宮司が保存・栽培したものと考えられる。この社地をツツジが岡とも言い、昔は数百株のつつじがあり、花の頃は、まるで錦を織ったようで人々は筆を執り歌を詠んだ。社殿が火災にあった時、このつつじの花が燃えるように赤いので、災いを起こしたと見間違えられ、切った時期もある。現存するもの約60本、4月下旬から5月の初めにかけて花をつける。(西条市教育委員会)
神社を出て、報恩寺の前を通り、
また坂を下ります。
こちらも眺めの良い高台です。
高知の集落を抜け、分岐に注意して行きますよ。
すると、先ほどの高知八幡神社の表側、
鳥居のあるほうに着きます。
無事に、高知の集落をクリアしました。
ウォーキングコースは、終盤。
車に気を付けて、徳田と吉岡をつなぐ「徳吉農道」を横断します。
専念寺の大イチョウが存在感を示しています。
「イチョウをめざし、GO!」
この大イチョウは徳田のシンボル。
健康のためにウォーキングを始めたという渡部館長。
この近所を歩いていて道を尋ねられると
よく案内にこのイチョウを使うそうです。
「枝を剪定したばかりやけん、ちょっとスッキリしとるけど」
と館長は言いますが、なんと立派な!
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専念寺の大銀杏は、二代目 了善が開基・竜雲の一周忌(1643年)を記念して植えたものである。(中略)記録によると、文政12(1829)年台風の時、幹の中ほどから半分に裂け折れたり、戦時中、米軍機の目印になるとかで幹先切り口20cmで切り落とした。現在では元のようにそびえたち、丹原町で第一の大木らしい偉容を呈している。殊に11月中、下旬になると、黄金色に彩り はるか遠方からでもきわだって美しい。いかにも秋の深まりを感じさせ、特に農家の方は「お寺のイチョウが色づいた さあ麦まきだ。」となごやかにいい合ってきたという。
丹原町の文化財(丹原町教育委員会発刊)より
イチョウを過ぎると、あとは1本道。ようやく、ただいま公民館。
館長の案内のおかげで、解説付きでも
2時間くらいで終えられました。
(自分ひとりだったら3時間はかかっていたはず)
事務室に戻ると、樽見主事がむいてくれた
丹原名物の柿。
館長からは参考資料として
「郷土國語読本 徳田校(上 中 下巻)を
見せていただきました。
戦前から使われていた郷土読本。
原本が数十年後に見つかり、
手を加え、再度印刷・製本されたものです。
中には「我が村の長所短所」という鋭い文章もあり
徳田の方のキャラクターを知るのに
非常に興味深い資料でした。
【番外編】
徳田地区を語るうえで欠かせないのが、西山興隆寺です。
二神主事におすすめされて
お詣りしてきました。
紅葉、とくにもみじの名所で、
背後の「西山」を付して西山興隆寺と呼ばれています。
見ごろのピークは過ぎていましたが、赤・黄・オレンジ、
それらの中間…なんとも鮮やかな色彩。
国の重要文化財に、本堂など三点、そのほか
愛媛県、西条市指定の文化財も多数あり
ぜひ訪れたい名所中の名所です。
二神さん曰く、
「紅葉の見ごろは、だいたい例年、11月15~25日頃で
『もみじ祭り』のある11月23日前後は特にええよ!」
「でも、本当のおすすめポイントは何といっても
『笑いの吹き込み口』よ。今度行ったら探してみてね。」
気になる『笑いの吹き込み口』は
テレビでも紹介されたそうです。
ご覧の皆さんも、ぜひ足を運んでくださいね。
今回は地元在住の館長のおかげで
安全で楽しいウォーキングとなりました。
徳田地区は、集落の立地が全く異なり、個性が際立ったまちでした。
一見すると「山の麓ののどかな地域」なのですが、
眺めの良い高台に建つ、昔からの寺社など
古いものが大切にされていて…心の豊かさを感じました。
距離の関係でコースに入っていない
西山興隆寺や、田滝の集落なども
歩きがいのある場所なので
ぜひ実際に歩いていただきたいです。
今回も、読んでいただきありがとうございました。
平成29年も、マイペースに更新しますので
どうぞよろしくお願いします。
広報専門員 日野
参考
協力:徳田公民館
参考資料:西条市ウォーキングマップ、徳田公民館だより、郷土國語読本(上・中・下)
お問い合わせ
・ウォーキングマップについて…健康医療推進課 TEL:0897-52-1215
・地域のことについて…徳田公民館 TEL:0898-68-7027
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