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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.9徳田地区(後編)

ページID:0035149 更新日:2016年12月28日更新 印刷ページ表示

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また、徳能の常石山(つねいしやま)の山頂には
南北朝時代、徳田に居城を構えた
得能道綱(みちつな)の忠魂碑があります。

この碑、表面の文字は「坂の上の雲」でも有名な
秋山好古陸軍大将によるものとのこと。

詳しくはこちらをご覧ください。

広報さいじょう2010年3月号 [PDFファイル/717KB]


ここから、迷いやすいという意味での
第一の難所に入ります。

湯座八幡神社、権太夫の墓周辺

「庄屋権太夫之碑」とかかれた
渡部権太夫の石碑(五社霊神)で左折します。

渡部権太夫の碑

階段を上ると、立派な木が張り出した
湯座八幡神社に到着します。

クロガネモチ

赤い実の木は、市の文化財のクロガネモチ。

こんな大きなのは初めて見ました。

同じ場所から、他の木(クスノキとウラジロガシ)が
生えているのも、とても珍しいですね。

地面にはクスノキの実とドングリが
たくさん落ちていましたよ。

クロガネモチ、クスノキ、ウラジロガシ


次に向かうのは、(3)の「渡部権太夫の墓」です。

※先ほどのは「碑」でしたので注意してください。

Y字の分岐を左へ進みます。
迷う方が多いので要注意!!

分岐

公園 徳能ちびっこ広場を通り抜けると、

渡部権太夫の墓にたどり着けます。

渡部権太夫の墓

渡部権太夫は徳能村の庄屋で、桑村郡が圧政と凶作に苦しんだとき、幕府の目安箱に訴状を投じた。間もなく松山藩から役人が来て治政は改まったが、権太夫は藩政を誹謗した罪により、貞享3年(1686年)6月、新市(旧東予市)の刑場で処刑された。あらかじめ妻を離別するなど、禍を免れようとしたが、老母と三人の子どもは救うことができず処刑された。(中略)丹波神社の裏手の小高い場所に、5人のものと伝えられる墓が残る。

西条市観光物産協会「今どきの西条」より抜粋

幕府に直訴して、処刑されてしまった権太夫さん。

同罪とみなされたお母さんと3人の子どものお墓も残っています。

渡部権太夫の母と子の墓


小高いお墓から下っていくと、丹波神社です。

丹波神社

渡部公広を祀る神社。天正13(1585)年秀吉の四国制圧で戦場となった当地方には、両軍の死傷者が多く、公広は死者の霊を弔い、傷者を救済して善根を施したという。慶長3(1598)年12月1日に公広は死去した。公の生前の徳を慕って墳墓へ参詣する郷人は後を絶たず、諸病平癒の霊験あらたかであった(特に小児の咳の病に効験あり)。ここに里人、小社を建て、丹波神社として祭祀している。

「丹原町の文化財(旧丹原町教育委員会)」より


次に、2つめの難所へ挑みます。

マップ 高知八幡

(…といっても、館長と一緒なので迷わないのですが)

住宅地に入る坂を登り、道なりに進みます。

高知八幡神社への道

しばらく進むと、林道のような様子に。

平成16年災害の折の
災害復旧工事の碑も立っています。

16年災害復旧工事の碑

大きな一つ目のため池(奥池)を過ぎると、
次の目的地 高知八幡神社に
裏の参道から入れます。

この道沿いにはツツジの群落があり、
古くから「ツツジが丘」として知られています(市指定天然記念物)。

ツツジの群落がある道

さすがに今の時期は咲いていないと思いきや、
真っ赤なツツジ。

冬のツツジ

取材日含め、天候のあたたかさに
季節を勘違いしたようです。

案内板の説明を記しておきます。

この地に1列に並んで茂り、自生していたものを時の宮司が保存・栽培したものと考えられる。この社地をツツジが岡とも言い、昔は数百株のつつじがあり、花の頃は、まるで錦を織ったようで人々は筆を執り歌を詠んだ。社殿が火災にあった時、このつつじの花が燃えるように赤いので、災いを起こしたと見間違えられ、切った時期もある。現存するもの約60本、4月下旬から5月の初めにかけて花をつける。(西条市教育委員会)

神社を出て、報恩寺の前を通り、
また坂を下ります。
こちらも眺めの良い高台です。

高知の坂を下る

高知の集落を抜け、分岐に注意して行きますよ。

分岐で案内をする館長

すると、先ほどの高知八幡神社の表側、
鳥居のあるほうに着きます。

高知八幡神社 表

無事に、高知の集落をクリアしました。


ウォーキングコースは、終盤。

車に気を付けて、徳田と吉岡をつなぐ「徳吉農道」を横断します。

県道を横断

マップ 交差点

専念寺の大イチョウが存在感を示しています。

「イチョウをめざし、GO!」

専念寺の大イチョウ

マップ 専念寺

この大イチョウは徳田のシンボル。

健康のためにウォーキングを始めたという渡部館長。

この近所を歩いていて道を尋ねられると
よく案内にこのイチョウを使うそうです。

「枝を剪定したばかりやけん、ちょっとスッキリしとるけど」

と館長は言いますが、なんと立派な!

大イチョウ

専念寺の大銀杏は、二代目 了善が開基・竜雲の一周忌(1643年)を記念して植えたものである。(中略)記録によると、文政12(1829)年台風の時、幹の中ほどから半分に裂け折れたり、戦時中、米軍機の目印になるとかで幹先切り口20cmで切り落とした。現在では元のようにそびえたち、丹原町で第一の大木らしい偉容を呈している。殊に11月中、下旬になると、黄金色に彩り はるか遠方からでもきわだって美しい。いかにも秋の深まりを感じさせ、特に農家の方は「お寺のイチョウが色づいた さあ麦まきだ。」となごやかにいい合ってきたという。

丹原町の文化財(丹原町教育委員会発刊)より

イチョウを過ぎると、あとは1本道。ようやく、ただいま公民館。

館長の案内のおかげで、解説付きでも
2時間くらいで終えられました。

(自分ひとりだったら3時間はかかっていたはず)

公民館に帰還

事務室に戻ると、樽見主事がむいてくれた
丹原名物の柿。

柿をいただく

館長からは参考資料として
「郷土國語読本 徳田校(上 中 下巻)を
見せていただきました。

戦前から使われていた郷土読本。

原本が数十年後に見つかり、
手を加え、再度印刷・製本されたものです。

郷土国語読本

中には「我が村の長所短所」という鋭い文章もあり
徳田の方のキャラクターを知るのに
非常に興味深い資料でした。


【番外編】

徳田地区を語るうえで欠かせないのが、西山興隆寺です。

二神主事におすすめされて
お詣りしてきました。

紅葉、とくにもみじの名所で、
背後の「西山」を付して西山興隆寺と呼ばれています。

西山興隆寺 階段

見ごろのピークは過ぎていましたが、赤・黄・オレンジ、
それらの中間…なんとも鮮やかな色彩。

国の重要文化財に、本堂など三点、そのほか
愛媛県、西条市指定の文化財も多数あり
ぜひ訪れたい名所中の名所です。

西山興隆寺 境内

二神さん曰く、

「紅葉の見ごろは、だいたい例年、11月15~25日頃で
『もみじ祭り』のある11月23日前後は特にええよ!」

「でも、本当のおすすめポイントは何といっても
『笑いの吹き込み口』よ。今度行ったら探してみてね。」

気になる『笑いの吹き込み口』は
テレビでも紹介されたそうです。

ご覧の皆さんも、ぜひ足を運んでくださいね。


今回は地元在住の館長のおかげで
安全で楽しいウォーキングとなりました。

徳田地区は、集落の立地が全く異なり、個性が際立ったまちでした。

一見すると「山の麓ののどかな地域」なのですが、
眺めの良い高台に建つ、昔からの寺社など
古いものが大切にされていて…心の豊かさを感じました。

距離の関係でコースに入っていない
西山興隆寺や、田滝の集落なども
歩きがいのある場所なので
ぜひ実際に歩いていただきたいです。

今回も、読んでいただきありがとうございました。

平成29年も、マイペースに更新しますので
どうぞよろしくお願いします。

広報専門員 日野

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参考

協力:徳田公民館

参考資料:西条市ウォーキングマップ、徳田公民館だより、郷土國語読本(上・中・下)

お問い合わせ

・ウォーキングマップについて…健康医療推進課  TEL:0897-52-1215

・地域のことについて…徳田公民館  TEL:0898-68-7027

・この記事について…シティプロモーション推進課 広報係  TEL:0897-52-1204

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