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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.2吉岡地区(前編)
地域のウォーキングレポート第二弾
このコーナーでは、広報広聴課の広報専門員 日野が、
市内をカメラを携えて歩き、レポートしています。
2016年7月6日(水曜日)晴れ ※情報は取材当時のものですのでご注意ください
第二回目は、東予地域の中央部、高台に位置する
吉岡地区にお邪魔しました。
もともとよく知るまちを歩いた前回とは打って変わって、
今回は吉岡のまちを初めて歩きます。
まちの概略はこんな感じです。
人口約2,400人。名所・旧跡が多く、昔からフィールドワークが盛んなまち。 吉岡という名は、京都の安楽寿院(伏見区)という寺院が平安時代に所有した「吉岡荘」という荘園の名残。土器や古墳が多く確認されたり、と、縄文から古墳、平安、江戸、現代まで、幅広い時代の遺跡や建造物などが残る文化度の高い地域です。 もともと、河野氏など地方豪族が多く居住し、南西部の低山は古代山城として機能しました。 産業では、明治時代には砂糖(サトウキビ)、養蚕が盛ん。桑畑が多かったことは「周桑」の由来となりました。 |
まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。
”こころほっこり”吉岡荘ウォーキングマップ [PDFファイル/1.05MB]
スタート地点となる吉岡公民館にお邪魔しました。
まずは館長や職員にルートの確認をし、地域の概略をお聞きします。
吉岡という地区はまちあるきが文化として根付いているようです。
定期的なウォーキングの会や、小学生への地域ガイドもされる
「吉岡歩こう会」の皆さんが作った「吉岡歴史散策マップ」(左)
「ふるさと吉岡フィールドワーク」(中央)や
約20年前に作られた「吉岡荘をたずねる」(右)を見せていただきました。
主事の戸田さんが
「日野さん、また、歩こう会の方にも話聞いたらええわ。電話しとこか?」
と、電話をかけようとしたら…
「あれ~!?コウさん!?」
なんと、歩こう会の中心メンバーの串部浩(こう)さんが
偶然、吉岡公民館に現れました。
浩さんは15年ほど前まで吉岡公民館で主事をされていた方。
浩さんが持ってきてくれたアイスを皆でいただきながら
改めて吉岡の話をお聞きします。
たとえば…
・吉岡の守護大名で、権力の強かったのは河野氏。
周りの大名の城を取り上げず、共存共栄を目指した
・特に好きな場所は「象が森城跡」。標高185mで
よく登ってから出勤していた
などなど。
日野は、初めて歩く吉岡。
「古いものが多く残り、皆で大切にしているまちなんだなぁ」
とイメージを掴んで、いざ出発。
公民館の向かいには、吉岡小学校。
音楽室のリコーダーの音にしばし耳を傾けます(『ゆかいな牧場』でした)。
この日は非常に暑く、帽子に首にタオルを巻いておりました。
最初の角を左折。
消防団吉岡分団ポンプ車庫を通り過ぎると…
広いキウイ畑がありました。
愛媛県ですが、実はキウイフルーツの生産も盛んで
日本一の生産量を誇ります(全国シェア25%)。
西条市はその主要な生産地なんですよね。
さらに歩いた突き当りの角に、高台と鳥居が見えます。
甲賀神社です。
- 正式には「護運玉甲甲賀益八幡神社(ごうんたまかぶとかがますはちまんじんじゃ)」(!)といい、1600年の歴史ある古社。
西暦199年、仲哀(ちゅうあい)天皇と妻・神功皇后が九州の熊襲討伐の際に立ち寄り、頂上に登り、お祈りをしたという伝説が残ります。猿田彦命(さるたひこのみこ)や仲哀天皇の皇子・応神天皇などを祀っています。境内には「秀真(ほつま)文字」といわれる神代文字が刻まれた灯篭も残っています。
そんな歴史ある「甲賀さん」にもかかわらず、
鳥居をくぐって、間違えて脇の参道から登ってしまいました
(木漏れ日がきれいでした)。
本殿はこちら。
振り返ると、吉岡から南東が一望できます。
天皇も奈良の都を想って祈りを捧げたのでしょうか。
反対側の長い階段を降ります。
近くに住んでいたという同僚は、高校時代、部活でここまで
ジョギングしに来ていたそうです。
方角を西に転じ、引き続き上市(かみいち)地区を歩きます。
この日は霞んでいましたが、石鎚連峰がきれいに見えそうなロケーションです。
ほどなくして、目の前に…
次の目的地「観念寺」さんが。
こちらも高台にあり、遠くからもわかるほど大きなお寺!
(これかぁ~!)
時刻は正午近く。日射しにじりじりとやられますが、
「観念寺までは…」
とがんばる気が湧いてきました。
立派な上市集会所を左に見て、
県道を渡り、看板に沿って足を進めます。
通りの民家ののうぜんかずらに癒やされます。
坂を登り、観念寺さんに到着!
振り返ると、また一面のパノラマ!
右には丹原方面、正面には市役所あたり、
左には瀬戸内海が見えます。
このアングルから見る西条は初めて。
思わず気分が高揚します!
そして肝心の観念寺、非常に由緒あるお寺です。
- 正式名称「大雄山観念寺」。臨済宗。1240年伊予の豪族・越智盛氏(もりうじ)が建立。鎌倉時代の終わりには越智一族の寺として栄える。戦国時代に荒廃したが、松山に入府した松平定行により1642年再建。将軍家、松山藩の祈願所になる。寺に残る102の古文書は県重要文化財。
この本堂と鐘楼は西条市指定文化財で、
本堂の天井板には一枚一枚花鳥や人物が描かれているそうです…
本堂の中を見せてもらえる日に、また来よう!
観念寺、見るべきものの多い場所でした。
さて次は、オリンピック金メダリストが練習した池、「新池」です。