本文
広報専門員の気ままに西条歩き Vol.1氷見地区(後編)
集会所のかわいらしいポストを見ながら、山手へずんずん進みます。
田んぼの中を進んでいくと、切川寺にたどり着きました。
(今回は逆回りに回っています)
西条新四国観音霊場第22番札所で、
天正の陣で亡くなった霊を祀っているそうです。
-
天正の陣(1585年)…豊臣秀吉による四国征伐の戦いの一つ。四国最大の激戦地といわれる。秀吉配下の中国・毛利輝元の軍に属した小早川隆景が、3万の軍を率いて伊予(現在の新居浜)に上陸し地元勢力を制圧した。氷見の高尾城は最後の戦いの場所で、多数の戦死者を出す激戦の末に毛利軍が勝利した。
高尾城跡を仰ぎ見て、ちょっとしんみりしながら上町に戻ります。
田んぼは田植えまっさかりのシーズンでした。
次にたどり着いたのは「住吉屋」。
(今回は逆回りに回っています)
「住吉家」は通称で、住んでいた森家は
江戸後期より加茂川以西に広大な土地を所有し、
最盛期には二千石もの米を産した大地主でした。
海山の産物を取り扱う商家としても活躍し、
氷見の繁栄に大きく貢献したそうです。
こちらの屋敷は江戸時代後期に建てられ
数年前から、保存しようという動きが活発になっています。
「御成門」という、殿様が来た時の出入り口から入ります。
清掃作業で来ていた氷見公民館長が待っていてくれて、案内をしていただきました。
広い座敷!(手前は「控えの間」)
西条藩や小松藩の殿様が来られていたそうですよ。
座敷からは枯山水の庭が見えます。
地元の皆さんの力でここまできれいに。
殿様もこの景色を見たことでしょう。
驚いたのはお手洗い。当時のままで残っています。
畳敷きなんですね!
殿様が抜刀できるほどの広さとのことです。確かに広い…。
そして、手洗いの手水鉢。
水琴窟(すいきんくつ)の美しい音が聴けます。
氷見にこんな文化的ですばらしい場所があったなんて驚きです。
興味を持たれた方は、毎月第二土曜日の10時~12時に訪れてみてください。
「氷見古民家研究会」の方々がいらっしゃって、案内してくださるそうです。
ウォーキングも終盤。遍路道を西に向かいます。
氷見の大庄屋といえばこちらも外せません!
「高橋家」です。
高橋家は江戸時代に氷見組19カ村を取り仕切りました。
櫓の付いた大屋根がシンボル。
写真奥の大木は「大喜多のいちょう」で市の文化財にも指定されています
(私は小学校のオリエンテーリングで廻った記憶があります)。
高橋家を左手に通過し、「裏」まで来ました。
集会所とだんじり小屋です。
ほどなくして、「芝居の泉」に到着しました。
弘法大師 空海がお経をあげると水が湧き出たといわれるところ。
この井戸は1年中途切れず、今まで一度も涸れたことがないそうです。
湧水の近くまで寄ってみました。真ん中の窪みより、
さらさらと水が出ていました。
小学校の通学路だったため、夏はよく足を水につけたり、
友達とワイワイ言いながら水を飲んだりした記憶があります。
四国八十八箇所の番外札所でもあるこちら。
夏の暑い日にここで休むお遍路さんを目にした記憶もあります。
これからも、涸れることなく皆の喉を潤してほしいものです。
せっかくなので、この芝居の泉の水を使っている酒蔵の前まで来ました。
田坂酒造さんです。銘柄では「市兵衛」「行光」が有名。
こちらの方は、たった一人でお酒を造り続けています。
母校 氷見小学校の裏出入り口を横目に
氷見公民館まで帰ってきました。
初となるカメラ歩きは、発見が多く、
何度も立ち止まったり戻ったりで
マップに記載されていた2倍の時間がかかりました(1.5時間→3時間)。
公民館長・主事ほか、登場はしませんでしたが
地域住民の方にたくさんお話をお聞きしながら
一部ですが、氷見のまちの景色の背景の歴史に触れることができ
収穫の多い町歩きとなりました。
形式は少しずつ変えながらになりますが、
これからもこの連載をお楽しみください。
広報専門員 日野
参考
協力:氷見公民館
参考資料:西条市ウォーキングマップ、氷見公民館だより、愛媛新聞(2015年12月22日発行)、ジ・アース創刊号(1989年1月25日発行)
お問い合わせ
・ウォーキングマップについて…健康医療推進課 TEL:0897-52-1215
・住吉屋さん、氷見古民家研究会について…氷見公民館 TEL:0897-57-9100
・この記事について…シティプロモーション推進課 TEL:0897-52-1682