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90年に西条祭り 本郷太鼓台と出会って/西条まつり 祭りびとの想い(7)
三重県在住/竹本 収さん
岡山の学生時代、同じ下宿先に飯岡本郷出身の友人がいました。彼から本郷太鼓台を紹介されて、1990年に初めて西条祭りに参加しました。
規模の大きさと、子どもから大人から、市から、学校から、企業から、この祭りに協力している事を知って、ますます、好きになりました。
(1990年 学生時代。下宿のアパートが同じだった越智克夫君に誘われ。学科は違ったが、野球とテニスと、体を動かしていた面々。写真は、克夫さんの学部が同じMさん)
地元の人間でもないのに、26年間、呼んでいただいている事に感謝。
自分は親が転勤族で、京都・神奈川と移り住み、地元のお祭に縁が無かったため、特に。
('90年は、太鼓台にちょうちん。)
('93年は、三重県四日市に就職して、会社の寮の先輩等を誘って参加。四日市から大阪南港発のフェリーで。克夫さんの友たちも入社1年目で参加。)
('93年、伊勢神宮での式年行事に飯岡本郷太鼓台も奉納。会社の寮の先輩も仲間を連れて四国の思い出を振り返りに、伊勢へ。)
飯積神社の見どころは、宮入の際の11台同時差し上げです。
(参考)
太鼓台11台のかき比べを成功させようと思うと、1台約100人として、約1,100人が集まらないと。
且つ、息を合わさなければ上がらないなんて、今まで、見た事も聞いた事も参加した事もなかった。
11台ですよ。それも違う自治会の集まりで。
舁(か)き夫も10月17日に焦点を合わせて練習してきたわけでもなく。
やはり、祭りを運営する人たち、特に青年団らの努力あっての賜物です。
この祭りは、見た目には地味で「何がどうなっているのか判らない」って言う方も中にはおられるとは思います。確かに、見ええの良いお祭りは他にもあります。
しかし、約1,100人が協力しないと成功した感が出ないって醍醐味、他のお祭りでは経験できない満足感ですね。
飯岡本郷に顔を出すと、「また来たんか、祭りバカやのぉ」ってあいさつから、ココ最近は、「お帰り」に。26年間、参加し続けてきて良かったなって、本当に感謝しています。
(今年の写真)
また、来年、チョ~イ セイジャ~
(今年、飯岡本郷の皆と)
最後に、お祭に参加して、先日、Facebookで友たち申請をしていただいた方がいます。
ほとんどの方が名前とお顔が一致していなかったので、やっと1人判りました。
エピソード集
- 台風などで中止、仕事で来れなかった時はありましたが、雨に降られたのは'94年の1回のみ。今年は、担ぐ所では降られていないので、僕はおおむね天候には恵まれているのかも?
- 茨城県の土浦市(北関東)へ転勤時も、電車で西条祭りに帰って来たけど、その時、同級生が南アフリカから27時間?で帰ってきて、「遠くから来た」話を全部持っていかれました。
- ある年は、四日市を夜の19時に出て、本郷に深夜1時着。お世話になる家が空いてなく、家の前をうろうろ。その家の前の方が見つけてくれて、そちらで休養。その後、お世話になる予定だった家からすぐに電話がかかってきて、予定より早く2時から担ぐことに。あれぇ~?寝てない。
- 別の年。祭りの後、10月18日の三重の仕事を休めず、17日の晩、東予港からフェリーで出発。18日の朝5時、大阪南港到着。そこから飛ばして、四日市に朝8時着。8時30分から仕事(忍耐)。
- 最強行パターン。三重を10月16日19時に1人、車で出発し、深夜1時に本郷着。そのまま、地下足袋履いて……(空白)……宮入後は車で早引きし、お世話になる家で3時間ほど寝て、23時頃、四日市に向け出発。うとうと運転、途中仮眠し、朝6時、何とか四日市着。9時から仕事(祭りバカ)。
- 今使っている白ズボンとハッピは、26年前の物。物持ちの良さに感激!26年物というのが正しいのか、約26回しか使っていないと言うのが正しいのか。
- 今回の祭りの前は、10月2日に四日市の御諏訪神輿、9日は北楠(四日市市の一部)の神輿を担ぎ、10月17日の本番に臨みました。15日に飯岡本郷到着時、コメリで太鼓台の音が!急遽、ぞうり、私服で予定外の担ぎ。1週間後の10月23日は、四日市日永のお木曳きを見に。30日はどうしよう…。今月は、祭り強化月間。
編集部より:来年からも交通安全に気を付けて、西条まつりにお帰りください!