本文
広報専門員の気ままに西条歩き Vol.16小松地区(後編)
次の目的地は、四国第六十一番霊場の香園寺(こうおんじ)。
別名、「子安大師」「子安さん」と呼ばれています。
-
香園寺は聖徳太子(574〜622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。(略)弘法大師が訪れたのは大同年間(806〜10)であった。ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。大師は、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。すると婦人は元気な男子を無事に出産した。これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。
聖徳太子開基という長い歴史を誇りますが、昭和51年につくられた大聖堂が特徴的。
「ご本尊が大日如来でね、2階で見えます。モダンな建物は、当時最新の技術で作られたということです」
お遍路さんも多く、鐘「カーン」「コーン」という音に混じって杖の「チリーン」という音も聞こえます。安産のお祈りやお礼参りのために訪れる方も多数。
「これまで見たどのお寺よりも大きいー!昔、赤ちゃんの時に来たことがあります」
「私も!生まれた時に、親が連れてきてくれたらしいです」
「ほうなんじゃね~。私の友達の多くも安産のお祈りに来とるみたい」
「おっ、子どもさん連れのご夫婦がおるね」
さすが子安さん。お礼参りだそうで、撮影をお願いしてみました。
ん~っかわいい女の子!すやすや寝ています。
「やばい!やばいやばい、天使」
大聖堂の右手前には、子安大師像があります。弘法大師・空海が左手に赤ちゃんを抱いています。
「じゃあ次、三嶋神社に行きましょう」
三嶋神社は香園寺から国道11号方面に行ったところ。今日は裏から入ります。
「この神社、丘の上に建ってるんですねー」
「そう、この小山全体が実は『船山古墳』っていう古墳なんです(愛媛県指定史跡)。
この三嶋神社はかつて今よりずっと北の方にあって、江戸末期にこちらに遷ることになって今の拝殿のところを掘り起こしてみたら、大きい円墳が見つかったんよ。
そこから、石棺や銅鏡、武具や勾玉(まがたま)なんかの副葬品も出てきた。そのなかの勾玉と管玉(くだたま)は東京国立博物館に納められとります」
「はーっ、そうだったんですか。常設展示はされてないですよね?」
「普段は展示はしてなくて、収蔵されとるんじゃなかろか。古墳時代の特別展などには展示されるんだと思います。
ここには小さい古墳もたくさんあって、例えばここ。ポコってなっとるのが全部古墳」
画面中央のようなふくらみが随所にみられました!
「群集墳なのでこれ以外にも小さいのがたくさんあって、全部で17基あるんよ。
昔は、地面が砂利じゃなくて土やったけん、須恵器や土師器がなんぼでも見つかりよった」
「教科書で聞いた単語が続出だ。古代が一気に身近になった気がする」
古墳で盛り上がりましたが、ものすごい大きな円墳があったという拝殿はこちら。
-
その古墳の東に位置する三嶋神社は、元明天皇の和銅5年(712年)詔勅により、国司越智玉輿、玉澄父子が井出郷(小松の古名)の総鎮守として、大山祇神社より勧請し、社殿を建立したのが始まりである。古来より、小松藩歴代藩主の崇敬が厚く、寛永15年(1638年)初代藩主直頼が本殿を再建し、3代藩主直卿が奉納した扁額と社号石や石造手水鉢(ちょうずばち)などがある。現在の社殿は、嘉永7年(1854年)に、新宮原から移されたものである。
今どきの西条(西条市観光物産協会サイト)より抜粋
「ここには、江戸時代に時刻を伝えた時太鼓(ときだいこ)があります。
時太鼓は石高が十万石以上ないと打てんかったけど一万石の小松藩でも叩いてた。これはおそらく直卿さんのおかげだろうと言われています。また藩政時代に陣屋にあった太鼓櫓(やぐら)が、今僕がいる小松温芳図書館のところに移築されてありました。今はもうないですけどね」
「時太鼓、特別に許されてたんですね」
そしてこれが直卿(なおあきら)公より奉納された手水鉢。
表の階段を下りて、神社北側へと。
「結構急な石段!」
「これはすごいですねー」
「ここの祭りには、来たことある?」
「ないですー」
「この石段をだんじりが上がるけんね」
【参考画像】
「そうなんですか!」
「まだ写真でしか見たことがないんやけど、すごいよ。」
「ようやるよねえ(笑)舁いて上がりよって、だんじりが倒れかかってきたときは大変やった。」
石段を下りたところには、「三島新宮」と書かれた市指定文化財の石碑があります。
注連縄をめくって?字を見せてくれる越智館長。
「これ、正直あんまり上手いと思わんことない?(笑) 直卿さんは色んな字を書き分けられる方やけど」
「た、たしかに…」
これ以降は伊予小松駅まで東に進みます。
途中のお宅で庭木の剪定をしていたのは、合併前の小松の町長さん。
(逆光で、すみません)
「撮ってもええけど男前に撮ってよ。どこ歩いて回りよん?」
「佛心寺からずーっと。」
「そら、大変じゃ。まあ、がんばって。小松のことを知ってください」
「はい、気を付けて」
藤木(ふじき)橋を渡ります。越智館長の指の先には、上流の「小松橋」。
「あそこらへんから、縄文時代後期の注口(ちゅうこう)土器がいっぱい出てきよったんよ。
上の小松橋は大正15年にできた、ガス灯のついた鉄筋コンクリートの橋で、開通式の時は何千人もの人がお祝いに来て小松川の土手や河床を埋め尽くしたそうです」
「何千人もですかぁ!」
目の前には西条市役所小松総合支所が見えてきました。
住宅と小松小学校の間からは、石鎚山が。
「ほー、きれいに見えますねぇ」
「これがさっき言うた『伊予の高嶺』ね」
「石鎚山は古川橋から見るのもきれいなよね」
「古川橋!以前一緒に歩いた神拝公民館の川上館長もそうおっしゃってました」
そして小松郵便局の裏を通り、
味のある洋品店の前を通ります。まちの中心に近づいている感じがします。
「あれかわいい。スタイル…」
「スイルってなってるのもいい」
たまたま「ガラリ」とお掃除に出てきた散髪屋さんにも出会いました。
「写真?ええよ。お好きにどうぞ(笑)」
小松駅前交差点では小松小・石根小のALT(外国語指導助手)のジェシカ先生にばったり。
電車で西条駅へ行くとのことでした。
私たちは駅から南へ、商店街方面へ行くことに。
商店街の街路にところどころ直径十数cmのマンホールのようなもの。
この商店街を舞台に毎年行われている夏祭り「小松町ふるさと祭り」の文字も。
「ここに竹を入れるんよね」
(ふるさと祭りの様子)
「なるほど!本格的ですごいですね…」
史跡盛りだくさんの小松歩き、公民館でフィニッシュ。
「写真撮りますね。おつかれさまでした。はい、ポーズ!」
「歩いてみてどうでしたか?」
「小松といえば篤山先生のことくらいしか知らなかったけど、由緒のある寺や神社を知ることができました。小松は歴史が深いなって。
特に香園寺。建物がとてもでっかいところや、安産を願うところがいいなぁと思ったので」
「お寺が好きでよく行くんですが小松のことはあまり知らなくて、寺社の成り立ちとか隠れた魅力も教えていただけて新鮮で面白かったです。
個人的には、石が削られとったところ(棚橋小団兵衛のお墓)が面白かった」
「一緒に歩いてくれてありがとう!
写真を撮るのに必死で、意外とお話しできなかったのがちょっと残念やけど。また機会があればお願いします」
「ぜひまた来てくださいね」
「ホームページの原稿も見ますけんね」
「そうですね、チェックよろしくお願いします!」
「ありがとうございました」
知っているつもりでも、行ったことのないところばかりだった小松。
地域の方が、江戸時代の偉人を「篤山先生」「直卿公」と親しんで呼び、彼らが今もまちで活きていることが印象的でした。
平塚・越智両館長のように、誇りを持って歴史やまちを大事にする方の、まちへの愛情がこもったお話を聴くとそのまちが好きになるのかも。すっかり小松のファンになりました。
また、高校生とまちを歩き、「私も昔こういう機会があれば、進学前にもっと西条のことを好きになれてたかもしれない」という思いもよぎったのでした。
次は、どこへ、誰と行こうかな。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
広報専門員 日野
※情報は取材当時(2017年12月)のものです。
参考
協力:小松公民館
参考資料:西条市ウォーキングマップ、小松公民館だより、いよ小松町文化財
お問い合わせ
・ウォーキングマップについて…健康医療推進課 TEL:0897-52-1215
・地域のことについて…小松公民館 TEL:0898-72-2631
・この記事について…シティプロモーション推進課 広報係 TEL:0897-52-1204