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台湾電力の父 松木幹一郎

ページID:0062993 更新日:2020年4月20日更新 印刷ページ表示

「台湾電力の父」 明治から昭和初期にかけて活動した技術者、実業家。 

 

松木幹一郎

松木 幹一郎(まつき かんいちろう) 1872~1939

西条市河原津出身。愛媛県第一中学校(現 県立松山東高等学校)、第三高等学校(京都府)、東京帝国大学法科大学(現 東京大学)を卒業。日本と台湾で活躍した官僚・実業家。

数々の要職で多くの業績を残していますが、内閣鉄道院では後藤新平の秘書課長を務め、後藤に十河信二を紹介しています。
また、台湾電力株式会社社長に就任し、日月潭に水力発電施設を完成させました。
発電施設の完成は、台湾市民の生活だけでなく、台湾の経済発展にも貢献し、「台湾電力の父」として今も尊敬されています。

松木幹一郎氏 略歴
年号 西暦 主なできごと
明治 5年 1872 2月2日 現在の西条市河原津に生まれる
明治17年 1884 愛媛県第一中学校入学
明治19年 1886

愛媛県第一中学校 経費の都合上閉校
 ※『松木幹一郎』 昭和16年発行による

明治26年 1893 第三高等学校を卒業
明治29年 1896 東京帝国大学法科大学を卒業
逓信省通信局 勤務
明治35年 1902 結婚
明治39年 1906

一等郵便局長・横浜郵便局長 就任

第6回万国郵便連合会議(ローマ)に代表として出席

万博の様子

万国郵便連合会の様子

 

明治40年 1907 帝国鉄道庁参事・運輸部庶務課長 就任
明治41年 1908 鉄道院参事・総裁官房秘書課長 就任
大正5年 1916 山下汽船会社、山下総本店総理事 就任
大正12年 1923 帝都復興院副総裁兼物資供給局長 就任
昭和4年 1929

台湾電力株式会社社長 就任

台湾電力経営陣

台湾電力経営陣(前列右から2人目)

   

日月潭工事の様子

日月潭工事視察の様子1

   

工事の視察

日月潭工事視察の様子2

昭和10年 1935 日本アルミニウム株式会社取締役 就任
昭和11年 1936 台湾拓殖株式会社理事 就任
昭和14年 1939

台湾工業協会理事長 就任

6月14日 死去 (67歳)

※1 日月潭とは、台湾のほぼ中央に位置する湖。

写真:西条市教育委員会所蔵 無断転載を禁じます。

関連リンク

松木幹一郎氏ゆかりの資料が寄贈されました(2016年4月21日)

 


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