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医聖 眞鍋 嘉一郎
「医聖」と呼ばれた医学者。 日本で初めてラジウム泉の存在を確認。
眞鍋 嘉一郎(まなべ かいちろう) 1878~1941
西条市大町出身。愛媛県尋常中学校(現 県立松山東高等学校)、第一高等学校(現 東京大学教養学部)、東京帝国大学医科大学(現 東京大学)を卒業。物理療法、レントゲン学、温泉療法の先駆者。 3年間ドイツに留学し物理療法(理学療法)を研究し、帰国後は同大学に勤めたのち伝染病研究所の技師となりました。内科の治療にエックス線、ラジウム鉱泉電気治療などを導入し、医療技術の発展に尽力されました。また、「レントゲン」という呼び方を日本で広めました。 夏目漱石や浜口雄幸など著名人の主治医を務め、「医聖」と呼ばれました。 |
年号 | 西暦 | 主なできごと |
---|---|---|
明治11年 | 1878 |
8月8日 西条市大町に生まれる 楢本神社境内(愛媛県西条市) |
明治29年 | 1896 | 愛媛県尋常中学校を卒業 |
明治33年 | 1900 | 第一高等学校を卒業 |
明治37年 | 1904 | 東京帝国大学医科大学を卒業 |
明治38年 | 1905 | 東京帝国大学医科大学副手嘱託付属医院青山内科に勤務 |
明治44年 | 1911 |
ドイツに留学する (ドイツ留学時の眞鍋氏) |
大正2年 | 1913 | ドイツ医学及万有学会に参加 野口英世と初対面 |
大正3年 | 1914 |
東京帝国大学医科大学に講師として勤める |
大正4年 | 1915 |
伝染病研究所の技師となる |
大正15年 | 1926 |
東京帝国大学教授に就任 内科物理療法学の講座を設立する (中央奥が眞鍋氏) |
昭和5年 | 1930 |
浜口雄幸首相銃撃事件 主治医として治療にあたる (前 浜口首相、後列右眞鍋氏 病室にて) |
昭和16年 | 1941 |
12月29日64歳で逝去 (晩年の眞鍋氏) |
写真:西条市教育委員会所蔵
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