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医聖 眞鍋 嘉一郎

ページID:0062263 更新日:2020年4月20日更新 印刷ページ表示

「医聖」と呼ばれた医学者。 日本で初めてラジウム泉の存在を確認。

 

真鍋嘉一郎肖像

眞鍋 嘉一郎(まなべ かいちろう) 1878~1941

 

西条市大町出身。愛媛県尋常中学校(現 県立松山東高等学校)、第一高等学校(現 東京大学教養学部)、東京帝国大学医科大学(現 東京大学)を卒業。物理療法、レントゲン学、温泉療法の先駆者。

3年間ドイツに留学し物理療法(理学療法)を研究し、帰国後は同大学に勤めたのち伝染病研究所の技師となりました。内科の治療にエックス線、ラジウム鉱泉電気治療などを導入し、医療技術の発展に尽力されました。また、「レントゲン」という呼び方を日本で広めました。

夏目漱石や浜口雄幸など著名人の主治医を務め、「医聖」と呼ばれました。

眞鍋嘉一郎氏 略歴
年号 西暦 主なできごと
明治11年 1878

8月8日 西条市大町に生まれる

真鍋嘉一郎生誕の家

楢本神社境内(愛媛県西条市)

明治29年 1896 愛媛県尋常中学校を卒業
明治33年 1900 第一高等学校を卒業
明治37年 1904 東京帝国大学医科大学を卒業
明治38年 1905 東京帝国大学医科大学副手嘱託付属医院青山内科に勤務
明治44年 1911

ドイツに留学する

ドイツ留学時の眞鍋氏(ドイツ留学時の眞鍋氏)

大正2年 1913 ドイツ医学及万有学会に参加 野口英世と初対面
大正3年 1914

東京帝国大学医科大学に講師として勤める

大正4年 1915

伝染病研究所の技師となる

大正15年 1926

東京帝国大学教授に就任 内科物理療法学の講座を設立する

真鍋嘉一郎(中央奥が眞鍋氏)

昭和5年 1930

浜口雄幸首相銃撃事件 主治医として治療にあたる

浜口首相と眞鍋氏ら

(前 浜口首相、後列右眞鍋氏 病室にて)

昭和16年 1941

12月29日64歳で逝去

真鍋嘉一郎 写真1(晩年の眞鍋氏)

写真:西条市教育委員会所蔵

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