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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.22三芳地区(後編)

ページID:0050198 更新日:2019年1月17日更新 印刷ページ表示

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マップ4

武田酒造さんの斜め向かいにある光明寺。

光明寺

境内には火の見櫓も立っています。

光明寺の鐘

真弓:「昔はあれによう登りよったんよ!鐘は鳴らしたらいかんって言われてね」

日野:「そうかあ、鳴らしたら火事ってことですもんね」

館長:「お遍路さんが泊まれる宿もあるんよ」

遍路宿。中を見ると、二段ベッドやテーブルがあり、くつろげるようになっています。宿泊者へ向けた貼り紙や宿帳、地図もあり、清潔に利用されている雰囲気でした。水道や二槽式の洗濯機もあり、Wi-Fiも完備。快適に過ごせそうです。

お遍路さん用の部屋

※あくまでお遍路さんのための宿です。宿泊の際はご住職に一声おかけください。


道を隔てた向かいには、「日切大師」の門構えの弘福寺さん。

弘福寺入口

参道をずんずんと入った奥に社殿が。

弘福寺 本堂

栗みたいな、桃みたいなシンボル。正解は、女性の乳房。

明美:「お産を控えた方とか、女性もよくお参りに来るんよ。お百度参りとかでね。」

胸のモチーフ


路地を抜けると、「宮内神社」とかかれた大鳥居。

宮内神社 鳥居

そのすぐそばの空き地は、なんと昔「三芳座」という映画館があったそう!

真弓さんは、子どもの頃を振り返り、「夕方6時のチャイムが鳴ると、軍艦マーチが鳴り響いて、ばんごはんを終えたお父さんらが映画を観に行っていた」と話してくれました。

三芳座があったところ

ふるさと三芳から抜粋すると、

・三芳座は大正13年に松浦慶助氏等数名の有志により株式で設立された
・当時月十日くらいの開催で映画が主体で演劇(漫才、芝居、浪曲)もよく催された
・昭和30年に入り映画全盛期を迎え、大入り満員の盛況が続いた
・昭和37年閉館、55年に取り壊し

とあります。

日野:「聞いてたら、商店や飲食店も多くて、映画館や演芸を楽しめる場所もあって。三芳ってすごかったんですね」

館長:「昔、ここら周辺の人はみんな遊びにきよったんやろね」

テレビが普及する前、戦後人々の暮らしがどんどん豊かになる時代の三芳とともに生きた三芳座。この存在をよく覚えておきたいものです。


県道に戻り、明美さんが、あるお宅の玄関をガラリと開けます。

明美:「おはよー、わたしー(来たよー)!」

出てきてくれたのは、新居田洋子さん。写っている作品は洋子さんの趣味の手作り。

明美:「すごかろー。私、こういう手づくりのものが好きなんよ」

「押し絵」や「くくり猿」、カラフルなくす玉などさまざまな技法、種類の作品がおもてなししてくれ、ワクワク。

新居田洋子さん

季節に合わせたお正月の飾りもたくさんあって、心がわっと明るくなりました。


次は、3つめのポイント「三島神社」です。

三島神社

三島神社は、「おみしまさん」の名で親しまれ、三芳村鎮守の氏神様です。本殿前石灯篭は大明神川氾濫の被害を今に伝えるものとして知られています。洪水により流出したため、中台には鳥居の石柱が代用されています。

西条市ウォーキングマップより抜粋

上記の石灯篭の場所がわからなかったので、お宮の向かいのおばちゃんに聞いてみました。同じ東予の吉田地区出身の渡辺智恵子さんです。

智恵子さん:「三芳に嫁いできて65年になるけど、ちょっとわからんねえ。でもここは、秋まつりの日にはお神輿が集まって宮出しをするんよ」

渡辺智恵子さん

真弓さん:「人が集まらなくなって、お祭りも昔より今は簡単になってしまいましたね。宮入りで、うちの前にお神輿が集まると、あ~お祭りらしい風景じゃなと思う」

少子高齢化の波が押し寄せ、受け継がれてきた伝統行事は少しずつ縮小され、止めざるをえないものもあればなんとか継続しているものも多いですね。


せっかくなので、このまま大明神川の方へと進みます。

大明神川から石鎚連峰を眺める

天気はくもり。石鎚山系の山々のてっぺんの方には雲がかかっています。

真弓:「昔はこっちから、松の木越しに山が見えよった」

館長:「松くい虫にやられてしもたんよね」

二千本ほどあった松の木は、昭和の中頃にほとんどが姿を消してしまいました。

真弓さんがまた小さい頃を振り返ります。

「小学生のころ、川の向こうに住んどった友達とケンカしたときに、『あんたなんか、橋が壊れて、学校来れんようになったらええんよ!』って言ったんよ。そしたら、その後台風で本当に橋が壊れてしもて。悪いこと言うてしもた…ってよいよー(とても)つらかった」

日野:「ある意味予言者じゃね、真弓さん」

真弓:「あとはね、この道沿いに下って、松のトンネルを抜けたら高須の海岸。見張りのおじいさんに怒られながらエビや貝をとって、売れるものはお小遣いに替えて。子どもながらにたくましく生きとったんよ」

日野:「自分でとって売ってって、商売の基本を遊びながら学んどったんですね。さすがまちの子」


この大明神川は天井川。天井川とは、石や土砂の堆積により河床(川底)が周辺の平面地よりも高くなった川のこと。
水が流れていない代わりに砂が流れているよう。

大明神川

その地形が、日本でも珍しい「川底の下を通るトンネル」を生み出しています。

大明神川トンネル

この写真でもわかるように、電車のトンネルは川底の下を通っているんです。

詳しくはまた国安編に記していますが、ぜひ皆さんにも見てもらいたい「珍」景色です。


まちあるきは、スタート地点から最も離れた「六反地」地区へ突入。

シイの木と思われる大きな木。明美さんはきっとドングリを探してたんですね。

六反地のしいの木

六反地は農村地帯で三芳地区の農業の中心地だったそうです。海に近く大明神川に面し、静かな環境というのは昔から変わっていなさそう。

お地蔵さん

ここは、「開きのお地蔵さん」。とてもきれいに整えられていて、地域の人が大事にしている様子がうかがわれます。

江戸時代、享保の大飢饉と呼ばれる飢饉があり、県内で4,000人が餓死したと伝えられています。このことに心を痛めたこの地区の藤原何某が河原津の石屋に作らせたのが、この地蔵菩薩だと伝えられています。

西条市ウォーキングマップより抜粋

最後は、「泉堀」へ立ち寄りフィニッシュです。

泉堀

「泉堀」とは何かというと、地下水が湧き出る泉に枠組を設置し、かんがい用で、田畑に水がひけるようにした「枠組井戸」なる設備です。

東予・周桑地域では、泉から水が湧き出している様子を、水が「いずんでいる」というそうで、泉のあったところを深く掘り下げて井戸を造ったことから、このような枠組井戸のことを「泉掘り」と呼ぶようになった、と考えられています。

詳しくは水の歴史館をどうぞ。

こちらの泉堀では、昔は洗濯物を洗ったり、子どもが泳いだりしていたそうです。今でも防火用の水として利用されています。

石川さん

ご近所の石川さん。この方も明美さんのお友達です。明美さんも真弓さんもとても顔が広い!

金魚

帰りは雨が降り出しそうだったので、急ぎ足で公民館に戻ってきました。

三芳公民館

河北地区の「マチ」、三芳。

記事に書ききれなかったですが、三芳駅ができるまでは馬車が勇ましく往来し、

この地域ならではの養蚕が盛んで、競馬場もあり、旅人も行き交い、演芸も行われ…

さぞかし楽しい街だったんだろうな!

今でもその雰囲気は残っていて、何より明美さんと真弓さんが明るく楽しく案内してくれて。

「また遊びに行きたいなあ」と自然に思えるような場所でした。

また、行きますね。「ふるさと三芳」へ。

※情報は取材当時(2018年12月)のものです。

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参考

協力:三芳公民館

参考資料:西条市ウォーキングマップ、三芳公民館だより、冊子「ふるさと三芳」

お問い合わせ

・ウォーキングマップについて…健康医療推進課 TEL:0897-52-1215

・地域のことについて…三芳公民館 TEL:0898-66-0504

・この記事について…シティプロモーション推進課 広報係 TEL:0897-52-1204


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