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(株)朝日新聞社および(株)朝日新聞出版では、平成21年に名曲「千の風になって」にちなみ、亡き大切な人への想いをつづる手紙を全国募集しました。 | ![]() 「千の風になったあなたへ贈る手紙」 |
このすてきな手紙の数々は、現在、西条図書館にて保管されています。
西条市では、上述のとおり、この手紙募集事業に対し、「千の風になって」ゆかりのまちづくりを進める1市として事業の後援を行っておりましたが、この素晴らしい作品をぜひともこのまちで多くの皆さまにご紹介したいという想いの下、平成22年8月に(株)朝日新聞社からこの手紙の原書の寄託を受けました。
西条市では、この原書を大切に保管することなどにより、「千の風になって 手紙のふるさと」を発信していくとともに、市民の皆さんが、本市の良さを見直し、誇りに思うシビックプライドの醸成にもつなげていきたいと考えています。
「千の風のふるさと西条市賞」受賞作品
「あかねの花火」
あかねは花火と西瓜(すいか)が大好きだった私の娘。
あの夏、豊橋祇園祭りの花火を、病院の屋上から友人と見るのを楽しみにしていた。が、生憎その日は朝から容態が悪化し、花火どころではなく、辛くて長い夜となってしまった。
それから間もなくあかねは旅立った。二十三歳。花火は見られないままに。
十年が過ぎた頃、定額預金の満期通知が毎月届くようになった。厳しく貯金させた日が 思い出され後悔の涙が流れた。このお金はあかねが喜ぶことに使いたいと思った。
「お母さんのお楽しみに使ってよ。親孝行してるみたいで鼻が高いじゃん」
照れながらいうあかねの顔が浮かぶ。
豊橋祇園祭り奉納花火協賛者募集を知り「これだ」と飛びついた。でも一発何万円もするという花火代には戸惑った。
あの日、花火が見たいと泣いていた姿が私に決心を促した。あかねは「もったいないよ」というだろうが、貯金で充分に足りる。
「良いことに気がついたね。絶対喜ぶよ」長女も大賛成してくれた。
花火大会当日は桟敷席に招待された。
「二十七番 前田あかねさん追悼供養」
とアナウンスされ、夜空いっぱいにあかねの花火が広がった。
あかねが見ていてくれますようにと祈る。お父さんも一緒に見て下さいと祈る。
「見て、見て! 私の花火だよ」
興奮のあまり、だれかれ構わず肩をたたいて歓喜の声を上げ、輝くような笑顔を振りまいているあかねが容易に想像できた。
「良かった! これで良かったんだ」
いつまでも消えない笑顔に私は癒された。
「いつまでも傍にいるからね」
あかねと私の合言葉を千の風が聞いていた。
愛知県豊橋市 前田やす江(65歳)※年齢は受賞時