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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.16小松地区(前編)
地域のウォーキングレポート第16弾
このコーナーでは、広報専門員が、
市内の校区を一つずつ歩いてレポートしています。
2017年12月10日(土曜日)晴れ
今回は小松町の小松校区を訪れました。
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人口は6,092人。江戸時代初期から廃藩置県まで、一柳家が1万石の小松藩として幕末までこの地を治めた。
西條藩に隣接する新屋敷村に陣屋が築かれ、その地に小松が生えていたことが地名の由来。小松藩では教育を重視し、近藤篤山を招いて藩校の設置などをした。
小松町の花は椿。農業のほか、国道11号や商店街を中心に商業も盛ん。
まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。
今回は西条高校の地域・歴史研究部の森山さん、本宮さん、顧問の松田先生と一緒に回ります。
前々からこのコーナーを見てくれていたようで、「ぜひ一緒に歩きたい」「特に小松のことをもっと知りたい」とオファーをいただきました。
「おはようございます!今日はよろしく~!早速やけど、二人はなんでこの部に入ったん?」
「もともと城とか好きで、部の勧誘チラシにお城も行けるって書いてあったんで」
「城好きの歴女なのね。遠征もしよるんじゃ、けっこうアクティブなんやね」
「部の活動はフィールドワークや発表が中心。新居浜の愛媛県総合科学博物館でも発表したことがあります。お城で行ったのは、松山、大洲、丸亀城。高知も行こうと思ってます。
僕は西条高校に勤務して5年目ですが、西条は旧城下町、お祭りのほか、輝安鉱(アンチモン)もありネタが豊富ですね。
西条が輝安鉱で有名とは知らず、市之川に行くとは思ってなかった(笑)」
小松公民館の館長は平塚館長。
近くに歴史に詳しい人がいるらしく、電話で呼び出してくれています。
「ゲストも来れるらしいです。野球をずっとやっていた体育会系の私とは対照的な人で、おもしろいよ。出発しましょう」
「ゲストが気になります!コース1つめの本善寺は、公民館の隣ですね」
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聞名山本善寺は、浄土宗総本山知恩院に属し、小松藩の藩寺である。本尊の阿弥陀如来像は、平安末期から鎌倉初期の作で、山門の額「聞名山」(3代藩主直卿〈なおあきら〉)とともに町指定文化財である。
また、明治5年(1872)、学制がしかれた際、郡内ただ一校の「十二番女児校」が設置された。
「いよ小松町 文化財」より抜粋
「これが小松藩の3代目藩主 直卿〈なおあきら〉公の扁額です。当時の諸大名の中でも随一といわれるくらい字がうまかったそうなよ」
「確かに上手い」
ご住職はいなかったので、説明文を読んだり、写真を撮ったり思い思いに過ごす私たち。
とつぜん、森山さんが枝を頭で「こつん!」
「かわいい事してる!今までおじさんとしか回ったことなかったから新鮮じゃ!」
すぐ近くの近藤篤山旧邸を通過。インターホンを押すか近くの小松温芳(おんぽう)図書館に申し出れば火曜・水曜以外見学できます。
近藤篤山は西条市が誇る郷土の偉人。
詳しくは過去の「広報さいじょう2016年12月号」の特集をご覧ください。
特集 近藤篤山生誕250年 篤山先生が残したもの(PDFファイル)
「そろそろゲストが合流する頃じゃなかろか」
「あ、後ろからそれらしき人が。おはようございますー!」
朝陽を浴びながら登場
ゲストとは、小松温芳図書館の越智敏雄館長。
「さっきまで古文書の文章をパソコンに入力してました」
「えっ!本当ですか」
「昔から考古学が好きで、今も仕事の傍ら文化財保護に携わってるんです」
到着するなり、目の前の佛心寺(ぶっしんじ)の説明がスタートするのですが…
「佛心寺は小松の初代藩主の一柳直頼(なおより)が亡くなったときに、藩主の菩提寺として創設されて、南明禅師により開山されました。ちなみに、8000年前の縄文8時代早期の土器や石器もここから出ます」
「いきなり時代が飛びましたね」
「ほんまやね。ということは、その頃からここら辺に人が住んでたってことか」
「そう、高台やから。西条市は埋立地が多く、古代の海岸線は今のJR予讃線のあたりといわれてます。ここの下のほうは小松川遺跡といって縄文後期の土器が、小松高校のほうからは弥生式土器が出ます」
「いきなり土器の話!すごいですね!」
引き出し豊富な越智館長の説明を聞く二人。
佛心寺に入ってすぐの景色。
三代藩主一柳直卿公による扁額その2。
「字体がさっきのと違う。きれいな楷書じゃ」
「ここは、供待(ともまち)といいます。ここは殿様の菩提寺ということやから、殿様が参拝している間、そのお供の人が待っているスペースです」
「ここに並んで座っているところを想像したら面白いです」
広い境内のさらに奥へと進みます。
「ここは椿のお寺なんよね。ここにある有名なのは明石蓮(あかしれん)と大城冠(だじょうかん)という2種類。明石蓮は、つぼみが大きくなっとりますね。ある日、夕方に見たら他の花は色を失って見えないのに、明石蓮だけがきれいな赤色が薄暗い中に浮かんでいた。花びらが薄くて、鮮やかな赤が特徴です」
椿「明石蓮」のつぼみ。
「へー、早くないですか?椿って、1~2月に咲くイメージです」
「これは早咲きやね。9月末くらいから咲くものもあるんよ」
「もう一つの大城冠は、小松では『だじょうかん』と読みます。原木は名古屋城の御殿椿(ごてんつばき)で、『だいじょうかん』と読み、門外不出でした。
では、なんでここにあるのか? それは、名古屋城の尾張藩と明石藩との間に争いがあった時に、両藩主の筆の師匠であった直卿さんがその仲違いを止め、お礼として椿をいただき持ち帰ったのではといわれています」
「直卿公、すごい」
椿は、旧小松町の花。町内の石鎚山ハイウェイオアシスにある「椿交流館」併設の「椿ハウス」には200種ほどの椿が毎年1~4月上旬頃まで花を咲かせます。
さらに奥には立派な枝ぶりの木が。
「この木は沙羅(シャラ)。6月に来たら白い花がきれいに見えるよ」
この戸の間から覗き込みました。いかついバイクが気になる…
境内には他にもたくさんの椿の木があり、開花しているものもありました。
「椿が好きなので、いっぱい見れてうれしいですね」
椿の写真をスマホで撮る森山さん
「もう一つ、見どころを紹介しますね。
お墓なんやけど、居合抜きの名人の、棚橋小団兵衛(こだんべえ)という人がおりました。
ものすごい動きが速くて強かったんよね。小柄なのにものすごい長い刀を使って。彼が勝負強いということから、賭けごとの好きな人がお墓の石を削っていった」
「えー!!」
「これが削られた跡。みんなが石を削ってね、持っていくんよ。
ほやけど、実はこっち(右)の標識がついとるほうが本物。削られとるほうは、全然関係ないお墓」
一同:「えー?!」
「あはは、みんな間違えとったんですね。めっちゃ面白いです」
「いやー佛心寺、見どころ満載ですね。市の文化財も多いみたいやし、じっくり来たい。
では次のポイント小松中央公園へ行きましょうー」
佛心寺から小松中央公園に向かう道中で…
「さっきの土器の話やけど、このへんは土器が出るので、僕は小学生のころから拾いに行ってました。
中学生の頃は、法安寺(飛鳥時代創建との説がある)へ行って文様のついた瓦を探してました。田んぼの中にあってあんまり拾えんかったけどね」
「好きな遊び=土器拾いってすごいですね!二人は法安寺は行ったことある?」
「ちっちゃい頃に行ったことはあります」
「飛鳥時代の創建といわれてて、二人もおなじみ聖徳太子の命で建立されたとも伝えられとるらしいよ。4月になるとぼたんがめっちゃきれいに咲くけん見に行ってみてね」
歩いていると、とある工場の近くにたくさんの猫と、エサやりにきた地域の方が。
「猫がすごい人懐っこくて、みなさんで優しくお世話してるんだなって」
「黒猫がかわいかったけど逃げられてちょっと悲しい…」
小松中央公園に到着。
ここに県下有数のグラウンドゴルフ場があります。
「いっぱいいらっしゃるんで、ちょっと話聞いてきます」
時刻は午前11時くらい。もっと早い時間にはかなりの人が練習していたようです。
この方々は小松の「一柳会(いちりゅうかい)」というチームの皆さん。
ポーズを決めてくれました。火曜と雨の日以外はいつも練習されているそう。強そう!
川原谷(かわらだに)地区を抜けて、次の目的地へと向かいます。