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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.15田野地区(前編)

ページID:0042430 更新日:2018年1月29日更新 印刷ページ表示

地域のウォーキングレポート第15弾

このコーナーでは、広報専門員が、
市内の校区を一つずつ歩いてレポートしています。

2017年11月24日(金曜日)晴れ ※情報は取材当時のものですのでご注意ください

今回は丹原町の田野地区を訪れました。

西条市全図

人口、3,186人。道前平野の西部に位置し、扇状地のすそ野に広がるなだらかなまち。江戸時代の140年間、松山藩の周布郡の政治の中心だった。

農業が主要産業で、果樹中心に、柿やイチジク、柑橘などが多く実る。近年、観光農園も盛んである。

歴史文化の面では、綾延(あやのべ)神社の殿中奴が市の無形民俗文化財に指定されており有名。


まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。

田野地区 名所めぐりウォーキングマップ [PDFファイル/752KB]

マップ 田野地区

肌寒い、曇り空の朝。

丹原町の田野公民館では
眞鍋館長(左)と酒井主事が迎えてくれました。

公民館でお話を聞く

公民館では、冊子「ふるさと小道」などを参考に、
独自のウォーキングコースを回っています。

田野地区全体の地図を見ながら、
今日歩くコースを予習。

丹原地区の地図

田野は、埋立地でない 古くからのまちなので
歴史のある建物や史跡がたくさんあるそう。


よっしゃ行きますか。

放課後児童クラブの児童

公民館を出ようとすると、放課後児童クラブに
参加する子供たちの元気な声。

ダッシュで階段を駆け上がります。

「今日は学校で研究大会があるけん
終わるんが早いんよ」と館長。

「おかえり」「はいおかえりー」と
子どもたちを迎える酒井さんが
みんなのお父さんのようでした。

マップ01

その田野小学校で、先生たちは
研究大会に向けた準備中でした。

こちらは車を誘導する石根小学校の金久先生。

田野小学校 先生

お疲れ様です!

西条市では、ICT
(=情報通信技術、Information and Communication Technology)を
活用した教育に力を入れています。

市内すべての教室に電子黒板を導入し、
子どもたちの学びの質を高め、
確かな学力の定着を図っています。

詳しくはこちら
小中学校ICT教育推進事業
広報さいじょう2016年7月号「学校にICTがやってきた!」


「松山」と彫られた道標が目に入りました。

眞鍋館長「ここらは伊予松山藩の領地で、
松山の『札ノ辻』から東予の繁栄橋までが
『松山道』やったんです。
これは、松山から9里ということで『九里石』いいます。」

道標

ちなみに、丹原には7~10里の4基があるそうです。

マップ02

真鍋館長「ほんで、ここらへんがおそらく、代官所のあったところ。
もともとはおしぶの森の横にあったんやけど、
矢野五郎右衛門という代官がこちらに移しました。
田野が周布郡の中心やったと推察できます」

代官所跡

日野「代官所って政治の中心ってことですもんね、
丹原は松山藩が計画的につくった商業の町でしたね。

館長「そうそう、今もここは代官地と呼ばれよるんですよ。」

そしてすぐ、立派な塀と門構えのお宅が見えてきます。

大庄屋

日野「館長、これはもしかして庄屋さん?
氷見の住吉屋に似てます。」

眞鍋館長「そう、ここは江戸時代の庄屋やったところです。
この瓦葺の立派な門は『薬医門』というんですよ」

取材後、資料をあたってみました。

大庄屋野口家…北田野の庄屋家(当主は野口浩氏)は天保12年(1841)の建築で、本瓦葺き、入母屋造の堂々たる構えであり、屋根、軒、窓等に昔の風格を残している。同家には薬医門(四脚門)と呼ばれる門がある。通称を御成り門と呼び、往時には藩主の来訪と、氏神である綾延神社の神輿渡御の時のみに開かれ、この門を通って入ったといわれる。門を入った左側に藩主接待のための茶室があったが今はない。昔の大庄屋格の屋敷構えを知るための貴重な建物である。

「丹原町の文化財(旧丹原町教育委員会)」より

次の目的地に向かい、まっすぐ進むと
山なみが見えてきました。

いつも見える石鎚山は雲で見えませんが、
田畑が広がる、のどかな光景です。

山側の景色

日野「館長、田野らしいなって思う風景はどんなのですか?」

眞鍋館長「う~ん、田野と書いて普通は
『でんや』と読むくらいなので、
こういう田園風景が、なだらかな山すそから
平地に広がっとる景色ですかね…。
柿畑も多いし。

同じ丹原の、お隣の徳田地区も田畑が多いけど、
土地に起伏があったでしょ」

日野「確かに!地形と用途、いろんな組み合わせで
その地域らしい景観になるんですね~」


そして到着したのは、浄明寺です。

マップ03

開基(創立した人)は、
奈良時代に仏教を全国的に広めた行基。

浄明寺伝来記によると、行基は仏法弘通のため、千丈之原において祈念修法した際、若宮(綾延社)の神託(注:神のお告げ)により草堂を造営して薬師尊像を安置し、天平12年(740)に国守越智玉澄に事由を具申し、仏法興隆守護神として堂宇(注:お堂の建物)を建立し、(略)祀ったのが起こりであるという。(略)明治維新まで綾延神社の別当職をつかさどっていた。

「丹原町の文化財(旧丹原町教育委員会)」より

「別当」とは本務のある者が、別にその職にあたった場合の職号。

眞鍋館長「綾延神社の『監督寺』というふうに言われてますね。」

浄明寺

そして目と鼻の先の「綾延神社」へと参ります。

 マップ04

綾延神社

綾延神社は、なんといっても秋祭り
「綾延神社殿中奴(でんちゅうやっこ)」が有名。

神輿(しんよ=おみこし)を大名行列に見立て、
参勤交代の様子を再現した渡御が行われます。

見どころは、神輿と奴が相対するシーン!
綾延神社の祭礼(殿中奴)

神輿に棒をつきつけるなんて、斬新だなぁと感じました。

百聞は一見に如かず。
こちらの映像の24分28秒あたりからご覧ください。

そして、もうひとつの見どころはこのイチョウの木。

綾延神社のいちょう

しめ縄が木に巻かれ、木に合わせて石塀も配置されています。

詳細は「西条の巨樹」に掲載されていますよ。


また、昔の祭りの日は非常ににぎわったそうで、

当社例祭は「田野市」と称し、西条の「伊曽乃市」と並ぶ道前地方随一の大市として知られた。
戦前は、6千石全部の氏子が神社、田野市原に集まり、サーカス見世物小屋、露店が開店しにぎやかであり、嫁の下見の場所であった。

「第4回 たの ふるさと小道ウォーキング冊子」より

眞鍋館長「昔の住民は、『田野市見たか』と自慢して、
行ってないと、あの世にいっても話にならないといわれたそうですよ」

田野市の説明
↑第4回 たの ふるさと小道 ウォーキングの冊子を見ながら

日野「そんなに!みんな必ず行った祭りなんですね」

これが綾延神社の参道、
「田野市原」はこの奥の広場です。

綾延神社 参道


マップ05

次の目的地の三徳神社を通過。

三徳神社

近くのお家では、庭木をクリスマスツリーにし
かわいく飾り付けしていました。

クリスマスリース

マップ06

そして、三島神社へ。

三島神社

大山祇(おおやまずみ)神社の別社。和銅5年に国司越智玉澄が各部落ごとに鎮護のため建立しました。

西条市ウォーキングマップより

大山祇神社はしまなみ海道の大三島にある由緒あるお寺。

 大山祇神社は、海、山、武の神として祀られている日本総鎮守。全国に一万社余りある山祇神社と三島神社の総本社といわれる県内最古の神社。境内中央には樹齢約2600年の大楠が神木として鎮座しており、本殿や拝殿などの重要文化財も多く、時の流れを忘れるほど神秘的な空間が体感できる。海の神、山の神、武人の神として信仰があり、多くの武将から戦勝祈願や謝礼として武具が奉納されてきた。

いよ観ネットより抜粋

全国数ある三島神社のうちの一社ということですね。

ここには少し変わった石像「牛さんがん石」があります。
三角形で、「天王」と彫られた石と、牛の形の置物。

牛の石 アップ

背後の石にはこうあります。

牛さんがん石の由来
この石は牛さんがんと呼ばれ祇園牛頭(ごず)天王を祀った牛馬の守護神である。旧五月四日が祭日で、炒った高野豆を供え互いに交換して食した。

眞鍋館長「農耕で働いてもらう牛や馬の
無病息災を祈願する行事を
丹原の各地 こういった石の前でやりよったんですよ。」

「牛頭天王」は、インドの祇園精舎 (ぎおんしょうじゃ) の守護神で、
悪疫を防ぐ神として、日本では京都の八坂神社などに祭られています。
西条では、前回の飯岡編で訪れた
素鷹(そが)神社の祭神でもあります。


次の道中から、変わった光景を目にしました。

画面中央。うっすら赤っぽいような、
落葉樹のような。これは何でしょう??

桜山

正解は、桜の木!!

熊野神社の桜

こちらは去年の春の様子。

熊野神社がある小山一面に桜の木が植えられ、
遠目で見ると丸いピンクの桜山。

ぜひ、見ていただきたいです。


次は、「土居の大グス」へ。

マップ07

広い田畑の中に、クスノキだけがどっしり立っています。

土居の大楠

この木は西条市最大の木で、
愛媛県でも3番目の大きさとのこと。

推定樹齢は1,000年以上、幹回りは13mもあります。
私との比較も、このとおり。

大楠の前で

この写真の手前、地表に見えるのは根っこ。
大木を支えるため、大きく大きく
張り巡らされてるんですねえ。

大楠の根

この大楠も、「西条の巨樹」に掲載されています。

東屋や祠、ブランコもあり
地域の人が大事にしている木なんだなぁとしみじみ。

心が落ち着く、出会えてうれしい大きな木でした。

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