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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.24西条地区(後編)
中は意外と広く、水は奥(写真右)で湧いていて、男性がペットボトル何本分も水を汲んでいます。
こちらの男性に話しかけてみました。
日野:「こんにちは。おいちゃんは、どこから来られたんですか?」
男性:「わしゃ、今治なんよ。半月分くらいの水を1回で汲んで、月に2回くらい来よる」
日野:「そうなんですかー!やっぱり西条のお水はおいしいです?」
男性:「わしゃわからんけどの(笑)、嫁はんが西条の水がええ言うて。ここの水でコーヒー淹れたらうまいらしいんよ」
日野:「ほうなんじゃ~。よーけ汲まないかんけど大変じゃない?」
男性:「いやいや、わしもドライブで気分転換なるけん、ええんよ」
この写真を撮影する間、水汲みを中断してくれました。おいちゃん、ありがとうございます。
水を触るとあたたかく、味はまろやか(といっても、私にとってはいつものうちぬきの水)。水が温かいのは、うちぬきが一年中12~3度の水温を保っているから。
そうこうしていると、「ひのさーん!いくよー!」とウォーキングの皆さんの声が聞こえてきました。行かな!
さっき来た道をUターンし、産業道路を渡り、まっすぐ進みます。
本陣川に漁船が浮かび、港町の雰囲気が続きます。写真のサギや、カモメもたくさん飛んでいました。
いつも「何かないかな」と周りにアンテナを張っている楽らくウォークの皆さん。水中に何かを見つけたみたい!
山内:「あれは胴が平たいけん、チヌかなあ。ボラはもっとまん丸いんよ」
この辺りは大型スーパーはありませんが、昔ながらの雰囲気の商店もあります。野菜が新鮮そうじゃ~。
赤い欄干橋が見えてきて、西条高校まで近づきました。小雨が降ってきたので、この大きな松の下でまた館長が解説してくれます。
喜多:「はい、雨降りよるからこの木の下で。あそこ、川の真上に建物があるでしょ。あれは『本陣川ポンプ場』といって、上流から流れてきた水を海の方へと排水しています。
なんでかというと、この地域は干拓地です。
古くから干拓により農地などが造成されてきたここら臨海部は、地盤が低く、満潮時に自然排水が難しい。下流から上流への浸水防止対策として、このような雨水排水ポンプ場が整備されてきました。
あちらは昭和55(1980)年に供用開始(使い始め)、平成23~27(2011~2015)年に長寿命化工事を経て今に至ります。
ちなみに、西条校区には計3カ所の雨水ポンプ場があり、あと2つは『唐樋ポンプ場(朔日市)』、『干拓ポンプ場(港)』です。」
日野:「埋立地ならではの施設ですね」
喜多:「そう、水に関連していえば、観音水(神拝校区)からお堀まで続いとる『アクアトピア』。起点のほうに、ピラミッド型のモニュメントがありますよね。あれは、当時の桑原市長が「学生から公募して決めましょう」ということで、中高生から案を募りました。ほんで採用されたのは当時、西条農業高校の3年生の女学生の作品。計算したら、今49歳ということです」
日野:「高校生の案だったんじゃ! その方は、今どこで何をされよんでしょうね、自分のデザインしたモニュメントがふるさとにあるってすごくいいな」
雨が強くなり、やみそうにないので、コースを短縮して、お堀の北側からこどもの国方面に行くことにしました。本来のコースなら、この欄干橋を渡ります。
喜多:「はい、このお堀の中にあるのは皆さんご存知の県立西条高校。西条高校出身の有名人には、眞鍋かをりさん、プロ野球選手の秋山拓巳くん、歌手「トワ・エ・モワ」の芥川澄夫さんなどがおられます」
「秋川(雅史)さんはどこやったっけ」
「あの人は小松(高校)よ」
「あれ、長友(佑都)君もおるんじゃないん?」
「あの子は、高校は福岡に行ったやろ」
「ああ、ほうじゃ」
皆さんの会話を聞きながらシャッターを押します。
西条市は11万のまちですが、活躍中の有名人が比較的たくさんいますね。眞鍋かをりさんは西条市を応援する「LOVE SAIJO応援大使」に就任され、昨年の「広報さいじょう」では表紙と特集記事に登場してくださっています。
喜多:「現在四軒町郵便局があるところは、旧制高等女学院、通称“女学校”があったところです。沿革はこのとおりで、40年の歴史を刻みました」
“女学校”と西条高校の沿革はこんな感じ。
高等女学校の詳しい沿革は、西条高校のHP内に載っています。
石碑は「西條藩校擇善堂跡」(左)「西条小学校創建の地」(右)で、西条小学校は明治5年に開校してから昭和15年に現在の場所へ移った年表が記載されています。
お堀の周りには畑に植えたようにたくさんのツクシが生え、すずめはまるまると空気を含んで雨宿り。
お堀から北へ繋がる道路には、女学校の石積みが残り、そのまま住宅に活かされています。
予定変更で立ち寄ったのは、西条市こどもの国です。
こちらは遊戯室や創作室、図書館のほか大きな展示スペースがあり、1階の展示ホールではだんじりなど西条祭り関係の展示が見られます。
だんじりなどの屋台以外にも、江戸時代作成の西条祭り絵巻の写真の複製版、みこしの金糸の面・三角ぶとんなどの展開展示のほか、西条祭りや日本の祭りの参考品を展示していて圧巻です。
その中に、昔の西条祭りの写真を見つけました。
野口:「昔、西条祭りを見に行く女の人は、今と違って着物を着たりおしゃれをしたりして行ったらしいね」
現在の地方祭では、女性もはっぴを着るなどして男性と変わりない感じの装いですが、そういえば母や叔母の昔の写真を見ると、着物やワンピースを着て、特別におしゃれしていました。私も中学二年生までは、新しい洋服を買ってお祭りに臨んでいたなぁ。
女性や子どもの関わり方で振り返ると、20年くらいでも西条まつりも変化したんだなと感じます。「正装して見守る・祝福するもの」から「一緒に参加するもの」へ…。
少子高齢化・多様性の時代、これからの祭りも変わっていくのかな。
日野:「あれ、…らしいね、ってことは、野口さんは西条ご出身ではないんですか?」
野口:「そう、私はね、秋田から嫁いできたの」
日野:「生活とか文化が全然違ったんじゃないですか」
野口:「そうそう、お餅のつき方がぜんぜん違うことに驚いたり、『もんてこーわい』(帰るね)って言葉を『帰って、もう一回来るのかな』って思ったりしたよ。さすがに、もう気にならないけどあの頃はびっくりすることの連続だった」
そんな、移り住まれた野口さんと、今こうして一緒にまち歩きができていることにうれしさを感じます。
公民館付近まで帰ってきました。西条公民館の南隣は、大きな壁面イラストが目印のカフェ WTNB coffee&studio IN THE HOUSE(ワタナベコーヒーアンドスタジオインザハウス)。
Uターン・移住の若い夫婦が営み、さまざまな方の憩いの場になっています。 ▶詳しくはこちら
ウォーキング終了!
真鍋さんからご褒美にお菓子が配られます。うれしい!
チョコレートの甘さが、しみわたりました。
その後、クールダウンのストレッチをして解散。楽らくウォークの皆さんありがとうございました。
最後に、館長から今日の資料集をいただいて、公民館にもさようなら。
(西条公民館職員の皆さん 左から、菅美幸主事、村上南主事補、喜多館長、船橋敏博主事)
喜多館長は、この3月でご退職。どうも、お疲れ様でした。このタイミングでご一緒できてよかったなあ。
西条校区は、役所や裁判所、高校や病院、大型スーパーなどのある「マチ」のイメージでした。その位置づけは西條藩のお殿様がいたところ、政治経済の中心だったという点では、昔から変わっていません。
干拓地なので、地域が歴史を刻み始めたのは江戸時代から。だからこそ、城下町の文化的雰囲気に歴史がぎゅっと凝縮されている感じがしました。
車で立ち寄る機会は多いかもしれませんが、今度どこかに車を停めて、ふらりと歩いてみませんか。
今回取材では行けませんでしたが、マップに載っている五百亀記念館、西条郷土博物館、栄光幼稚園、愛媛民藝館にもぜひ立ち寄ってみてください。
(校区内の建築物は、愛媛県東予地方局発行の「えひめ東予散策」にも掲載されています)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
※情報は取材当時(2019年3月)のものです。
参考
協力:西条公民館
参考資料:西条市ウォーキングマップ、西条公民館だより、西條市誌、西条市生活文化誌、「西條誌」絵図の今むかし
お問い合わせ
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・地域のことについて…西条公民館 TEL:0897-52-1264
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