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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.23大町地区(後編)
こちらが、八堂山の中腹にどんっと建つ、考古歴史館。
「考古歴史館 ご案内」ページでは以下のように紹介しています。
その外観からお寺や神社と思われる方も多くいますがこの建物は、全国でも数少ない弥生時代後期の高地性集落跡として知られている「八堂山」の中腹(196m)に、考古歴史学の学習拠点として平成3年5月にオープンした「西条市考古歴史館」です。
今日は、考古歴史館より上には登らず、この看板を目印に山の西側に降りるコースを行きます。
ここからは、舗装されていない山道(トレイル)。秋山さんが先頭へ。松本さん親子は車で移動するためいったん離脱。
何かの重みで曲がったのか、幹がたわんだこんな木も。
つづら折りになった八堂山の登山道。途中少し視界が開けた先には、神戸地区や西条市の西半分が、さっきと少し違うアングルで見えました。
下りきると、藤田さんが「ちょっとこっちに来て」と。
これは何でしょう?
加茂川から引いてきた水を、市内2方向に流すための水路とのことです。
詳しくは、当HP内「水の歴史館」を見てくださいね。
八堂山を下りたところは、春の桜が有名な「伊予の小嵐山」武丈公園。
川の両岸に桜が植わっていて、春はそれはそれは夢のような景色。
(イメージ)
ここの桜の多くは江戸時代に植えられたもの。植えたのは現在の橘地区に居を構えた、近江出身の豪商・木村家とのことです。
西側(通称「トリム公園」。秋にいもたきの会場となります)を望むとこのような景色。朝は曇っていたけど、少し晴れ間が見えてきました。
秋にはこの少し下流で、西条まつり 伊曽乃神社祭礼「川入り」が行われます。
(イメージ)
このメロディー橋のすぐ上流がその舞台。お祭り本番時には、だんじりも渡るこの橋。神戸編でも取り上げています。
下流に目をやると、大きなクリスマスツリーのような物体がそびえています。
ここでは、年間で約1週間しか見ることができない「とうど」です。
ここに、地域の人が正月のしめかざりなどを納め、小正月の頃に焚き上げる(はやす)火祭り。
お正月に降り立った歳神様を天に返し、その年の無病息災を祈る伝統行事。呼び方は「とうどさん」「とうどうさん」「どんどん焼き」「左義長」など全国さまざまありますが、地域のみんなで火を囲む様子は共通のよう。
この地区の「とうど」は竹・稲わら・笹でできていて、竹の骨組みにわらを巻き付けたような形です。骨組みは巨大な二等辺三角形。すべて、大町の地域の方が竹を切ることからつくったもの。
今年は、年末に竹を伐採し、1月6日にとうどを建て、13日の「とうどまつり」ではやします。
内部の様子。
各家庭の玄関や台所などに飾られていた飾りが集められています。取材中も住民の皆さんが次々にとうどの中に飾りを納めていました。
再び合流した松本さん達も一緒に記念写真。とうどの大きさがわかりますね。
松本:「ほんと、大きなクリスマスツリーみたいですねー!まーくん、ツリーだよ~」
まさき:「つりー?」
加茂川のこの位置からは、晴れた日には石鎚山が望めます。
藤田:「だいたい、この指の方角にちょっと見えるんよね」
今日は見えなくて残念。
秋山:「西条らしいな、って思うのはやはり石鎚山の風景ですよね。わたしは、家からも石鎚が見えるけん、『クッキリきれいに見えとるねー』『雪降って山が白くなっとる、冬やねー』とか家族と話をするんです。そういうのも、この地域ならではかなって」
日野:「私、『ちびまる子ちゃん』を見て育ったんですけど、まるちゃんは、富士山が見える静岡に住んどるんですよね。その中で『今日は富士山がきれいですね』って会話があって。
小学生の頃、こっちでもそんなふうに『石鎚山がきれい』とか話しよんのを聞いて、『富士山も石鎚山も、きれいで何が面白いんだろう』って思ってました。でも今ではすごい好きなやりとりです。市民共通の話題だなーって」
家から、通勤の車窓から、職場から、散歩道から。
石鎚の山々は、いつも美しい姿を見せ、西条のまちを優しく包み込んでくれます(雲に隠れた日もあるけど)。
土手から下り、中奥商店の前を過ぎて…
次は、西條神社に立ち寄ります。
西條市誌には以下のような記載があります。
西條藩は、はじめ一柳氏が三代にわたり治め、それ以降は紀州徳川家から徳川家康の孫・松平頼純が30歳のときに西條藩の所領を受け継ぎました。
徳川頼宣は、家康の息子で、紀州徳川家の祖です。徳川幕府と西条藩のつながりを感じる神社という感じでしょうか。
なお、なんと!「東照宮」と書かれた神額があるらしいのですが、勝海舟の書いたものだそうです。
「江戸城無血開城を成し遂げた偉人」としてしか知らなかったので意外でしたが、勝海舟は明治時代になってからたくさんの書を残したそうです。
神社の社務所では、「みきゃん」や「キティちゃん」のキャラクターのお守りが販売されています。お守りフリークの中では有名だそうです。さいたーずや秋山さんも、かわいいお守りを物色。
松本さん親子とは、ここでお別れです。まーくん、がんばってよく歩いたね!
北へと進むと、西条南中学校。テストの日だったようで、昼前に下校する生徒たちが路地から次々と。
さらに進んで、国道11号を渡ります。交差点は「サニーマート」が目印。
この交差点は通称「大町四つ辻」。西条まつり 伊曽乃神社祭礼の統一運行時、屋台が画面右側から来て左折し、加茂川を目指します。
写真中心部の「森川屋」さんは、老舗のお菓子屋さん。和菓子やワッフルを売っていました。
藤田さんとも、ここでお別れ。さっそうと自転車で帰ります。
ちょうど藤田さんがいる辺りは、藤田さんの会社 藤田電機の創業の地だそうです(現在は、この地点から数百メートル北の登道商店街にて営業中)。
再び、わたしと秋山さんの2人でのまちあるき。あとはまっすぐ歩けばゴールの公民館です。
大町小学校は門がレトロでかっこいい。ちなみに、現在の児童数は642(平成30年5月1日時点)。西条市内の小学校で、神拝小学校に次いで2番目に多い児童数です。
もともとは、1874年に開校した「積善学校」。1885年に積善・加茂・喜多学校が統合し「大町小学校」となりました。
校歌の冒頭には、「石鎚山は空高く 加茂の流れは清らかに」という詞があり、石鎚と加茂川との結びつきが強く感じられますね。
小学校の反対側、高橋ハイツの入口にはこちらの祠のような、えびす神社・八坂神社があり、すぐ横に立派な松の大木があります。
※通行の安全等のため、これらは3月上旬に別の場所に移されたところです。
公民館へ向かう道沿いでは、新たな住宅が何軒も建設中。
秋山:「うわー、いっぱい建ちよるねー。近所に住んでても、ちょっと見んうちに景色が変わるねー」
公民館に戻ってきました。
山を見上げると、雪。奥の山はガスで隠れています。
秋山:「ああ、さっき言ってた『山に雪』やねー。これですね」
日野:「寒いと思ったら、結構手前の標高低い山まで降ったんですね」
秋山:「今日は歩けてよかったです。住んでても見たことのなかった景色が見れて」
日野:「こちらこそです。特に『とうどさん』はこの1週間しか見れんけん、紹介できてよかった」
秋山・日野:「ありがとうございました」
新しい年が始まってすぐのまちあるき。
原稿を書く今はもうすっかり暖かく、また今年は暖冬でしたが、
この日は冬本番を迎える、ぴんとした寒い日でした。
大町校区は、八堂山に集落跡の遺跡があるように、弥生時代からの歴史があります。
前編で通った「福武」の地名は、鎌倉時代から残っているそうです。
そしてその後、一柳氏・松平氏が西條藩を治めた江戸時代ゆかりの西條神社など、
各時代の足跡をたどれる面白い地域でした。
そしてなんといっても武丈から愛でる加茂川。大町の方がうらやましいです。
やはりこうやって歩くと発見がたくさんありますね。
「気ままに西条歩き」、連載はあと2校区となりました。続きも、よろしくお願いします。
※情報は取材当時(2019年1月)のものです。
参考
協力:大町公民館
参考資料:西条市ウォーキングマップ、大町公民館だより、西條市誌、西条市生活文化誌
お問い合わせ
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・地域のことについて…大町公民館 TEL:0897-56-3835
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