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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.17楠河地区(後編)

ページID:0052556 更新日:2019年4月1日更新 印刷ページ表示

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本堂よりさらに奥の広場。テントの中に、花で飾られたお堂のお釈迦様。何人もの方がお参りをしていました。

花まつりの様子

釈迦の像にひしゃくで甘茶を注いで拝みます。

甘茶

お釈迦様=ブッダは、右手は天、左手は地を指して「天上天下唯我独尊」といって生まれたといわれています。

天上天下唯我独尊―。

「わたしだけが尊い」という意味ではなくて、「わたしたち一人一人の命はみなかけがえがない。人間にしか果たせない聖なる目的があって生まれてきた」という意味らしいんですね。

甘茶をかけるのは、その時に龍が降らせた甘い雨を模しているそうです。

天然成分で甘くなる甘茶。不思議なほどに甘かったです。

世田薬師からの眺望


さて、お次は?

川又:「眞鍋館長の作業所へ行きますよ」

日野:「作業?何か作りよんですか」

川又:「行ったら分かりますよ、館長ねぇ、すごいんよ」

世田薬師から歩いて数分、眞鍋館長が待っていてくれたご自宅近くの作業所へ入ると…

館長アトリエ

眞鍋:「待ちよったよ、入って入って」

川又:「いやぁ館長、世田薬師で花まつりしよって」

中に入ると、部屋一面に、版画や油絵の作品がずらずらずら。

日野:「えーーー館長の作品ですか!」

川又:「館長は元学校の先生やって、特に美術分野がすごいんよ」

眞鍋館長:「なんでもやってみたいんよ。版画に、油絵に、彫刻…。教員をしよったときに、図工の担当者に指導する立場になったのが始めたきっかけ。教える前に、まず自分がやってみんかったらいかんかろ?」

彫刻刀など

版画の原画は写真からおこし、かなり微細。油絵は大きなキャンバスに非常に写実的なタッチで描かれていました。

細やかな彫刻

仏像も木から彫って、背後にある飾り(光背=こうはい)は、こんなにも繊細。

教員時代には、教え子の作品が全国一に輝いた経歴も。
教え子の作品

眞鍋館長:「子どもたちには、版画を通じて『やればできる』って自信を持ってほしかったんよ。

アトリエの前で

 あとね、自分は版画だけ、にはこだわってない。飽きてしもて、楽しくなくなるけんね。
 遊びよるようなもんやけど、まだ今後もやりたいことがあるし、色々やっていきたいね」

日野:「その元気の秘訣は、飽くなき挑戦かもしれんですね」


今治の孫兵衛作につながっている県道を南進します。め、迷路ストリート!

マップ 迷路ストリート

私、以前ここを歩いた時、まさに迷ってしまい、正しいルートがわからぬままでした。でも今回は川又さんがいるので大丈夫!

「大きなカーブを右に下る」と地図にあるように、墓地を目印に、県道から右に折れます。

迷路ストリート入口

立体交差を通り抜けると、「頭の上を電車が通ります」ポイントへ!
線路の下をくぐる

身長150cmの私が手を伸ばして届く高さにJRの線路が通っています。

迷路ストリート

通過列車とはタイミングが合わず、遭遇できませんでしたが、すごい迫力だろうと想像!!


マップ うどんYA

線路をくぐると、次は気になる(4)うどんや が目印。
うどんYAさん

カーブミラーが目印、右上に民家があります。実はそこは、安くておいしい“うどんやさん”があります。地元のお客さんだけでなく、遠くからもうどんファンが集まるお店です。麺がなくなれば閉店です。

「うどんYA」さん、今度行ってみましょう。


そのまま、公民館方面への道をまっすぐ進むと、トラクターで田植え前の代かきをする男性が。

川又:「お。どうも、こんにちは」

田植え中の森川さん

この方は、森川輝久さん。妻 むつ子さんは前・楠河公民館長とのことです。笑顔がとっても素敵!

輝久さん:「大変やね~。どこどこ歩きよん?」

日野:「公民館から世田薬師まで行って、ぐるっと歩きよります。お米のほかには何作られよんですか?」

森川輝久さん

輝久さん:「うちはキュウリ、ピーマン、茄子やね。公民館の近くにも畑あるし」

川又:「周ちゃん(=産直市の周ちゃん広場)にも出しよるけんね」

日野:「ほうですか、今度探してみますね」


ペプシとコーラのレトロ看板を見つけました。

川又:「ここは昔商店だったところ、もう辞めてしばらくになるね」

昔の商店

日野:「郵便ポストや建物の造りがその雰囲気を残してますね。近所の子はよく通ったんだろうな」

こういった小さな商店や駄菓子屋さんが本当に少なくなりました。


マップ 河北会館

北川の手前には隣保館の河北会館。ちょうど瀬尾 孝館長が表に出てきていましたよ。

河北会館と館長

自安橋を使い、北川を渡ります。

自安橋

この橋はこんな経緯で造られたそうです。

楠の豊田源左衛門忠顕は、元和5(1619)年楠で生まれました。人々が大雨のたび橋のない北川を渡るのに困っているのを見て、自費を投じ石の橋をかけ、村人や旅人から大変喜ばれました。晩年は僧となり、名も自安と改めました。村人は、この橋を自安橋と名付けて彼の徳を称えました。

橋、ため池、道、干拓など、地域のインフラ、特に大変なものはいたるところに私財を投げうってでも尽力した先人の足跡があります。

その自安橋を渡ってすぐ左折。土手の上をまっすぐ進みます。今まで歩いてきたところを軽く見渡すことができました。

北川沿い土手

日野:「山も近いですが、平坦な道も多くて。楠河は海のまちって印象です」

川又:「昔は『山の子、海の子、里の子』と出身を表現するときに言よったんよ。山は庄内、海は楠河、特に河原津。そして里は三芳。三芳は駅もあるし街があるでしょ。」

日野:「面白い!お隣同士の庄内・楠河・三芳の特徴ですよね。他の地域でも、『まち』『浜』『山手』とか言いますもんね」


公民館のほうまで、かなり帰ってきました。

マップ 小学校

小学校の脇に平屋の建物。

永納山資料館

川又:「あれは、永納山城跡の資料館。もともとは楠河公民館だったんよ」

日野:「寄りたいですけど、また今度ですね」

そして、公民館のお隣、楠河小学校。

楠河小学校

小学校ホームページに掲載されている校歌が、
今回歩いた楠河の土地のイメージにぴったりでしたのでご紹介します。

一.世田山のもと 水清く 土ゆたか 我が生まれの里 ふるさと 楠

二.瀬戸の海原 波静か 海の幸 我が生まれの里 ふるさと 河原津

三.朝日輝き 夕日映ゆ 石鎚の峰 仰ぎて誠の道をぞ ゆく我等

前編は、一番の「土ゆたか」なところを歩いたということです。


西条市の北西の端、楠河。

実は、3年前にこのコースを個人的に歩いたことがあり、それがとても楽しく、皆さんにお伝えしたいと思ったことがこの連載をはじめるきっかけです。

今回も、世田山のほうから西条市が一望できたり、走り抜ける予讃線の電車を見ながら田畑の中を歩けたりと、ここならではの体験ができ原点の気持ちを思い出しました。

今回は楠のエリアのみの取材でしたが、河原津の方も歩いて、海を眺めてみたいです。

あー西条市ってほんとに広い!

次回は禎瑞地区を歩く予定です。最後までありがとうございました。

広報専門員 日野

※情報は取材当時(2018年5月)のものです。

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参考

協力:楠河公民館

参考資料:西条市ウォーキングマップ、楠河公民館だより、楠河のみちしるべ

お問い合わせ

・ウォーキングマップについて…健康医療推進課 TEL:0897-52-1215

・地域のことについて…楠河公民館 TEL:0898-66-0238

・この記事について…シティプロモーション推進課 広報係 TEL:0897-52-1204


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