本文
広報専門員の気ままに西条歩き Vol.3丹原地区(前編)
地域のウォーキングレポート第三弾
このコーナーでは、シティプロモーション推進課の広報専門員 日野が、
市内をカメラを携えて歩き、レポートしています。
2016年7月22日(金曜日)晴れ
今回は、丹原エリアの中心である
丹原校区にお邪魔しました。
私は、丹原校区には数回訪れたことがある程度…。
新たな発見がたくさんありそうです。
丹原、まちの概略です。
人口約4,900人。松山藩の初代藩主 松平定行が、領内に計画的に設けた3つの市場のうちの1つが丹原です。※ 町の中心は現在丹原郵便局がある交差点で、そこを起点に東西に各2丁(約264m)南北各30間(約63m)の敷地をつくらせ、各地から商人、大工、手工業の職人など52軒を移住させました。 「丹原」の名は地質が赤土であることに由来します。赤土は果樹栽培に適していて、丹原町全域では果樹の栽培が盛んです。 |
- ※松山藩は東予地方の在郷(田舎)に、城下町の古町のような在町を許可し、免租地にして繁栄させた。周桑郡の丹原町には松を、吉岡新町には竹を、大井新町には梅を植えさせ、松竹梅と縁起をかついだ。桜樹地方の山村の物産の集散地として計画的に丹原町を建設したのは正保元年(一六四四)であり、町の大手に並松を植えたのは正保四年である。
- (愛媛県生涯学習センター データベース『えひめの記憶』より)
まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。
丹原地区神社・地蔵・大池・運動公園(緑地)コース [PDFファイル/852KB]
丹原商店街のそば、丹原総合支所に隣接する
丹原公民館にやって来ました。
新しくきれいな建物は平成20年に建てられたそうです。
出迎えてくれたのはこの方々。
まずは近藤館長(右)にお話を伺います。
「ここでは、公民館行事として地域の人らと月2回のペースで
ウォーキング大会をしよるんですよ。
もう25地区のうち14は回りました。
季節の風物詩や地域のいいものを偶然見られたりと
歩くたびに何かあるんよ。それが面白い所やね」
14地区制覇!西条歩きの先輩たちがたくさん…。
「丹原地区のおすすめは、福岡神社・生木地蔵と
兼久池、あと運動公園は面白いと思うよ」
と館長。
そして今回は初の2人歩き!
「僕も一緒に回ります!」
と初のゲストウォーカーとして参加の主事の佐伯さん(左)と出発です。
今年、丹原公民館に異動になったばかりだそう。
よろしくお願いします!
佐伯さん「見ていただきたいものがあるんで、
こっちから行ってもかまんですか?」
と、早速コース外へ。準備中の丹原七夕夏祭り(8月5日~7日開催)の
装飾があるということで見せてもらいました。
この竹筒の中にキャンドルを入れるそうですが、
「あれ!今年は色がついとるぞ…」と驚く佐伯さん
夏祭りの飾りつけは年々趣向を凝らされ、
このタイプの装飾は初めて見たそうです。
筒に大小の穴を開け、光が漏れるよう作られたものもありました。
お祭りで、光が灯されるのが楽しみですね。
そしてルート上へ。
郵便局の向かいに、見逃せないお店を見つけてしまいました。
お菓子屋さんなのに、氷川きよしさんのポスターがたくさん貼ってある…
気になる…。入らずにはいられません。
迎えてくれたのは、ポスターの持ち主、
デビュー直後から大ファンだというお母さん。
何やら古そうな写真があったので、
「この写真は何ですか?」と聞くと
「キャラメルの宣伝のために、元力士の方が来たんよ。
一緒に写っとんのは、創業者のじいちゃんとばあちゃん」。
このことを後で調べると…元力士は「白頭山福童(はくとうざんふくどう)」。
身長が2m17cmあり、角界引退後は、
キャラメルの広告マンとして森永製菓に雇われ
「キャラメル大将」の名で銀座通りにも立っていたそうです。(Wikipediaより)
ということは、やはりこの場所、中心街だったということですね。
ちなみに、ここ木下精美堂さんは大正9年創業、96年の超老舗です。
「話に夢中で、けっこう時間経っちゃいましたね~」
コース上のもう一軒のお菓子屋さん とくのや さんには、
5代目の若いご夫婦がいらっしゃいました。
奥さんが営業の傍らで七夕笹飾りを作っておられます。
丹原の七夕夏祭りって、本当にみんな総出で作り上げるんですね!
さらに商店街を西へ。
かき氷の文字が夏を感じさせてくれます。
昔ながらの電気屋さんや自転車店、洋品店を通り過ぎ、
商店街の西の終点から、来た道を振り返りました。
8月5,6,7日に大勢の人で賑わう様子も
ぜひ見てみたいと思いました。
次の目的地、福岡神社と生木地蔵に行くには、来た道(讃岐街道)を直進です。
こんな珍しい道しるべも見つけました。
のどかな雰囲気の街道を進んで…
モダンな造形の丹原東中学校の前を通過します。
ちなみにこちら、完成は平成10年(学校HPより)。
個人的な話ですが、中学生の頃
「どうやら丹東(たんとう)(=丹原東中)は、
校舎がおしゃれになったらしいよ!ええねー!」
と、話題になったことを思い出しました。
そして、福岡神社へ到着。
迎えてくれたのは大きな大きな鳥居です。
この神社の立つ丘(写真奥)は、四尾(しぶ)山という小高い丘で、
道前平野の真ん中にあり標高は約60m。
鎮守の森は、通称「おしぶの森」として親しまれています。
多種多様な植物が見られるそう。
- おしぶの森 …福岡神社の社叢(おしぶの森)は大正13年(1924)早々に国が暖帯樹林の最も代表的なものとして指定した。昭和7年10月迄の調査では、樹木が96種、草生が136種、計96科232種となっていた。しかし、昭和45年8月の台風で倒伏被害を受け、復旧困難のため指定が解除されたが、南面と西面で樹種の8割程度、約200種類は現存している。
(「丹原町の文化財」(平成10年3月発行)より)
福岡八幡神社が祀られている山頂へと、
137段の階段を登りきったら、
丹原地区を一望!
う~っすらと、瀬戸内海に浮かぶ島も見えました。
そして、生木地蔵さんはこの四尾山の麓にあります。
- 四国霊場別格11番札所生木山正善寺の本尊生木地蔵には、『弘法大師が楠の大木の麓で休んでいたとき、仏様の「お地蔵様を彫って、人々を助けるように」というお告げを聞き、お経を唱えながら一心に彫り、右耳を入れれば出来上がりという時に、一番鶏が啼いた(天邪鬼の仕業)ため、彫るのをやめて旅立った』という伝説がある。「耳欠け地蔵」とも言われ、耳の病に霊験があるとされ、信仰を集めている。
(西条市観光物産協会「今どきの西条」より)
生きた木に彫った地蔵、で「生木地蔵」なんですね。なるほど。
地蔵菩薩像が見られるかと思ったのですが、
現在は写真とは別の本寺に安置されているとのことです。
本日は残念ながら省略。
そしてこれが、空海が彫ったといわれる楠の巨木の一部。
昭和29年に台風で倒れましたが、大切に保存されています。
樹齢1200年以上(推測)、周囲9~10mとのことですが
大きすぎてカメラに収まりませんので、ぜひ実物をご覧ください。
帰りに出会った彼ら。「5往復します」
と、トレーニングをがんばっていました。
さて、先ほどの「生木地蔵」の道路標識を掲げる
県道48号線に戻ってきました。
進行方向右側、変電所や
こちらの看板の前を通過します。
ここからは観光農園が多く、果物狩り最盛期になると、
この看板に
「柿狩り 10月中旬~12月上旬 ○○農園」というふうに
情報が掲示されます。
いかにも、丹原らしい風景です。