ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 市政情報 > 市政運営・行政改革 > 広報 > 広報専門員の気ままに西条歩き Vol.19中川・桜樹地区(前編)

本文

広報専門員の気ままに西条歩き Vol.19中川・桜樹地区(前編)

ページID:0068834 更新日:2019年4月1日更新 印刷ページ表示

地域のウォーキングレポート第19弾

このコーナーでは、西条市の広報専門員 日野が、市内の校区を一つずつ歩いてレポートしています。

2018年7月27日(金曜日)くもり 

少し日差しがやわらかな真夏の日。西条市の山手で西の端、中川地区を中心に回るコースを歩きます。

西条市マップ

中川地区:人口2,324人(2018年6月末現在)。石経、関屋、来見、湯谷口、志川、寺尾、明穂(字 安養寺)から成る地域。江戸~明治は松山藩の街道沿いに商店が軒を連ねたが、現在は大規模な商業施設や事業所はなく、冊子「古道や屋号に見る中川の暮らし」に「昔から比較的平和な静かな生活を営む農村」とあるように、落ち着いた雰囲気のエリア。

まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。

中川・桜樹地区マップ

中川・桜樹地区ウォーキングマップ [PDFファイル/639KB]


今日は、西条市 国際交流員のダイアナさんとのまち歩き。彼女は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身で、西条市へ来て丸2年になります。

市内の国際交流イベントの補助をはじめとして、西条市の歴史や日本の文化等を研究し、海外の方がこの地域の魅力を理解して、愛着を感じていただけるように取り組んでいます。

ダイアナさん

中川公民館に到着。

迎えてくれたのは、濱井(はまい)館長です。この日は2人の主事さんが公民館にいない日でしたので、濱井館長がすべて対応してくれました。

濱井:「まあ座って座って」

日野、ダイアナ「失礼します」

濵井館長

濱井:「公民館を空けることはできんけん、僕は残らないかんけど中川の説明はしっかりするけんね。

まず、これ。この地区には『郷土を見直す会』というのがあって、元丹原町の教育長 玉井渡さんが、中川地区の文化財や史跡の調査、自らの記憶などを記録にとどめてくれとるんよ。

中川の資料

例えば、これは3年前にできた『古道や屋号に見る中川の暮らし』というの。昔の文献から書き起こした地図。昔の屋号、地名、田んぼの名前まで書き込まれてて、すごいんよ」

日野:「わあ、かなり細かく書き込まれてますね。昔は、その土地の人らによって細かく地名が名付けられてたんですよね」

濱井:「そうなんよ。中川地区は、そういう地名とか、方言、習わし、伝説、あと昭和の子どもの遊びなどについて、ていねいに冊子にまとめられとる」

ダイアナ:「私、方言というのが気になります」

濱井:「『郷土の方言』を見てみましょ。ここらの言葉は言うかな?」

これなんぼぞん?(これいくらかね?)

お前ら行かんのん?(お前ら行かないのか?)

そんなこと知らんわや(そんなこと知らないよ)

方言

ダイアナ:「面白いー!このようにまとめているのは珍しいですね」

濵井館長とダイアナ

日野:「今の3つは言いますねー。おいちゃんらの話し方って感じ」

ダイアナ:「もっと読みたいです」

濱井:「もっと古い本もあるんよ、『中川村郷土史』。大正3年にできたもので、ここにしかないかもね。方言として書いとる内容は似とるけど、例えば、『床(ゆか)』を『イカ』と言うたり」

方言(古い本)

日野:「え~~!? 聞いたことないです! 『床の下』は『いかのひた』?うそーん」

濱井:「僕らがわからんのもあるね。どんどん方言使わんようになってしもてね。こういう言葉や文化を、玉井さんは記録されとるんよね」

ダイアナ:「すばらしい活動ですね。グローバル化の進展とともに英語の教育が大事になっていますが、ルーツとアイデンティティも大事だと思っているので、方言も大切にしてほしいですね」

日野:「この郷土史は古くてしっかりした冊子ですね。できたのは、大正時代ですか!」

濱井:「越智 茂登太(もとうだ)さんが村長時代やね。なんと、13歳で来見村※の戸長(庄屋があらたまったもの)になって、明治26年から昭和14年までの47年の長きにわたって村長を務められ、中川村の父といわれとる方です」

※くるみ。のちに、石経・関屋・湯谷口・志川・寺尾・明穂村の一部安養寺地区と合併して中川村になった

越智 茂登太さん(中央が茂登太さん)

越智茂登太は明治26年(1893)に中川村村長となり、48年間もの間村長を務め、経済力の乏しかった中川村の復興に尽力しました。茂登太の数々の施策の眼目は、「村民の生活向上」と将来を見据えた「まちづくり」と「青少年の育成」でした。

百年後の村財政を考え約1,000ヘクタールの村有林を造林、また産業を興すため周桑銀行を創立、住民生活に電灯をもたらした周桑電気株式会社の設立、かんがい用水路である「劈巌透水路」(へきがんとうすいろ)の大改修も行いました。

西条市ホームページ 水の歴史館より抜粋

日野:「今日は、茂登太さんを感じながら歩きたいと思います」

中川公民館

濱井:「はい、暑いけん気をつけていってらっしゃい!」


今回のコースのスタート地点は、「来見ふれあい桜公園」。

ふれあい桜公園

お花見に来たくなる、桜がいっぱいある公園です。自治会の方が季節の花も植え、きれいにしていますね。

ふれあい桜公園

ダイアナ、赤いサンバイザーとハートのサングラスがおしゃれやね。では、歩きはじめましょう!

ダイアナ・日野

公園から徒歩5分ほど、最初のポイントはここ、「断層」ですって。

えっ、断層って見えるの?

衝上断層

こんな看板があります。

衝上断層の説明

衝上(しょうじょう)断層、別名「つきあげ」断層。この橋の名前も「衝上断層橋」。ダイアナ、眺めはどうー?

水管橋の上のダイアナ

ダイアナが振り向いたほう、上流のほうに断層が露出しているとのこと。

そもそもこの断層とは、

中山川渓谷の来見橋下流に露出している断層です。数千万年前の地殻運動によってできた中央構造線上の逆断層で、雲母片岩の上に和泉砂岩が押し上げられたものです。地質学上貴重な資料といえ、県指定の天然記念物です。

西条市ウォーキングマップより抜粋

断層を眺める

う~ん、この時はよくわからなかったけど、後で調べると…

断層の位置

こういうことでした!写真に写っててよかった。非常に珍しいものだそうです。

そもそも、西条市は中央構造線断層帯の真上にあります。個々で見ると、明らかなものだけでも3本の断層が西条市の東西に走っています。

中央構造線断層帯(図:地震本部より)

西日本を背骨のように貫く中央構造線断層帯。

南海トラフ巨大地震とともに、この断層を原因とした地震の可能性もあります。西条市内の多くの地域が震度6強以上、一部では震度7との予測がされています…。

振り返ると、中山川の下流方面はこんな景色。道前平野が広がっています。

中山川と道前平野

平穏な毎日がずっと続くとは限りません。「いつか」は今日かもしれない。それぞれが備えていきましょう。

リンク:広報さいじょう2018年9月号 防災特集「いのちを守る準備、できていますか。」


衝上断層

先ほど見た断層より上流部分に、もう一つのポイントがあります。

こちらの、「劈巌透水碑(へきがんとうすいひ)」です。

石碑

安永9年、来見村の庄屋 越智喜三左衛門が水不足に苦しむ農民のために私財を投じ、約10年の歳月をかけて完成させた用水路です。かなりの難工事で「伊予の青の洞窟」といわれています。

西条市ウォーキングマップより抜粋

ちなみに、越智茂登太さんは完成の約100年後に大改修を行ったそうです。

碑の近くに看板があり、川のほうへ降りて実際に水路を見ることができるようです。行ってみましょう。

劈巌透水へ

整備された階段を下りると、岩の上にひとすじの水の流れが。川の流れというより、人工的につくられた流れのような。

流れる水

その先に目をやると…

日野:「あ、あれやろか?」

ダイアナ:「おー、四角い穴みたいなのが見えるねー」

水路

こちらが水路かはわかりませんでしたが、劈巌透水路について詳しくはこちらをどうぞ。

水の歴史館 劈巌透水路 

また、劈巌透水路を最初に完成させた越智喜三左衛門は、丹原のため池「兼久(かねさ)の大池」も造った方です。とんでもなくすごい!


次の目的地へと、来見橋を渡ります。この石積みがかっこいい来見橋も、茂登太さんが村長時代に改造されたものです。

来見橋

湯谷口

「湯谷口(ゆやぐち)」交差点を越えて、国道の南の山側まで来ました。

国道の風景

ここからは次のポイント、志河川(しこがわ)ダムへと軽く山へと入っていきます。この看板が目印。

志河川ダムへの看板

ダイアナ:「ダムってどのような感じなのかな。楽しみ」

ダムへの道

← インデックスに戻る  後編へ続く →

Adobe Reader
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)

おすすめイベント