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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.19中川・桜樹地区(前編)
地域のウォーキングレポート第19弾
このコーナーでは、西条市の広報専門員 日野が、市内の校区を一つずつ歩いてレポートしています。
2018年7月27日(金曜日)くもり
少し日差しがやわらかな真夏の日。西条市の山手で西の端、中川地区を中心に回るコースを歩きます。
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中川地区:人口2,324人(2018年6月末現在)。石経、関屋、来見、湯谷口、志川、寺尾、明穂(字 安養寺)から成る地域。江戸~明治は松山藩の街道沿いに商店が軒を連ねたが、現在は大規模な商業施設や事業所はなく、冊子「古道や屋号に見る中川の暮らし」に「昔から比較的平和な静かな生活を営む農村」とあるように、落ち着いた雰囲気のエリア。
まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。
中川・桜樹地区ウォーキングマップ [PDFファイル/639KB]
今日は、西条市 国際交流員のダイアナさんとのまち歩き。彼女は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身で、西条市へ来て丸2年になります。
市内の国際交流イベントの補助をはじめとして、西条市の歴史や日本の文化等を研究し、海外の方がこの地域の魅力を理解して、愛着を感じていただけるように取り組んでいます。
中川公民館に到着。
迎えてくれたのは、濱井(はまい)館長です。この日は2人の主事さんが公民館にいない日でしたので、濱井館長がすべて対応してくれました。
濱井:「まあ座って座って」
日野、ダイアナ「失礼します」
濱井:「公民館を空けることはできんけん、僕は残らないかんけど中川の説明はしっかりするけんね。
まず、これ。この地区には『郷土を見直す会』というのがあって、元丹原町の教育長 玉井渡さんが、中川地区の文化財や史跡の調査、自らの記憶などを記録にとどめてくれとるんよ。
例えば、これは3年前にできた『古道や屋号に見る中川の暮らし』というの。昔の文献から書き起こした地図。昔の屋号、地名、田んぼの名前まで書き込まれてて、すごいんよ」
日野:「わあ、かなり細かく書き込まれてますね。昔は、その土地の人らによって細かく地名が名付けられてたんですよね」
濱井:「そうなんよ。中川地区は、そういう地名とか、方言、習わし、伝説、あと昭和の子どもの遊びなどについて、ていねいに冊子にまとめられとる」
ダイアナ:「私、方言というのが気になります」
濱井:「『郷土の方言』を見てみましょ。ここらの言葉は言うかな?」
これなんぼぞん?(これいくらかね?)
お前ら行かんのん?(お前ら行かないのか?)
そんなこと知らんわや(そんなこと知らないよ)
ダイアナ:「面白いー!このようにまとめているのは珍しいですね」
日野:「今の3つは言いますねー。おいちゃんらの話し方って感じ」
ダイアナ:「もっと読みたいです」
濱井:「もっと古い本もあるんよ、『中川村郷土史』。大正3年にできたもので、ここにしかないかもね。方言として書いとる内容は似とるけど、例えば、『床(ゆか)』を『イカ』と言うたり」
日野:「え~~!? 聞いたことないです! 『床の下』は『いかのひた』?うそーん」
濱井:「僕らがわからんのもあるね。どんどん方言使わんようになってしもてね。こういう言葉や文化を、玉井さんは記録されとるんよね」
ダイアナ:「すばらしい活動ですね。グローバル化の進展とともに英語の教育が大事になっていますが、ルーツとアイデンティティも大事だと思っているので、方言も大切にしてほしいですね」
日野:「この郷土史は古くてしっかりした冊子ですね。できたのは、大正時代ですか!」
濱井:「越智 茂登太(もとうだ)さんが村長時代やね。なんと、13歳で来見村※の戸長(庄屋があらたまったもの)になって、明治26年から昭和14年までの47年の長きにわたって村長を務められ、中川村の父といわれとる方です」
※くるみ。のちに、石経・関屋・湯谷口・志川・寺尾・明穂村の一部安養寺地区と合併して中川村になった
(中央が茂登太さん)
百年後の村財政を考え約1,000ヘクタールの村有林を造林、また産業を興すため周桑銀行を創立、住民生活に電灯をもたらした周桑電気株式会社の設立、かんがい用水路である「劈巌透水路」(へきがんとうすいろ)の大改修も行いました。
西条市ホームページ 水の歴史館より抜粋
日野:「今日は、茂登太さんを感じながら歩きたいと思います」
濱井:「はい、暑いけん気をつけていってらっしゃい!」
今回のコースのスタート地点は、「来見ふれあい桜公園」。
お花見に来たくなる、桜がいっぱいある公園です。自治会の方が季節の花も植え、きれいにしていますね。
ダイアナ、赤いサンバイザーとハートのサングラスがおしゃれやね。では、歩きはじめましょう!
公園から徒歩5分ほど、最初のポイントはここ、「断層」ですって。
えっ、断層って見えるの?
こんな看板があります。
衝上(しょうじょう)断層、別名「つきあげ」断層。この橋の名前も「衝上断層橋」。ダイアナ、眺めはどうー?
ダイアナが振り向いたほう、上流のほうに断層が露出しているとのこと。
そもそもこの断層とは、
西条市ウォーキングマップより抜粋
う~ん、この時はよくわからなかったけど、後で調べると…
こういうことでした!写真に写っててよかった。非常に珍しいものだそうです。
そもそも、西条市は中央構造線断層帯の真上にあります。個々で見ると、明らかなものだけでも3本の断層が西条市の東西に走っています。
西日本を背骨のように貫く中央構造線断層帯。
南海トラフ巨大地震とともに、この断層を原因とした地震の可能性もあります。西条市内の多くの地域が震度6強以上、一部では震度7との予測がされています…。
振り返ると、中山川の下流方面はこんな景色。道前平野が広がっています。
平穏な毎日がずっと続くとは限りません。「いつか」は今日かもしれない。それぞれが備えていきましょう。
リンク:広報さいじょう2018年9月号 防災特集「いのちを守る準備、できていますか。」
先ほど見た断層より上流部分に、もう一つのポイントがあります。
こちらの、「劈巌透水碑(へきがんとうすいひ)」です。
西条市ウォーキングマップより抜粋
ちなみに、越智茂登太さんは完成の約100年後に大改修を行ったそうです。
碑の近くに看板があり、川のほうへ降りて実際に水路を見ることができるようです。行ってみましょう。
整備された階段を下りると、岩の上にひとすじの水の流れが。川の流れというより、人工的につくられた流れのような。
その先に目をやると…
日野:「あ、あれやろか?」
ダイアナ:「おー、四角い穴みたいなのが見えるねー」
こちらが水路かはわかりませんでしたが、劈巌透水路について詳しくはこちらをどうぞ。
また、劈巌透水路を最初に完成させた越智喜三左衛門は、丹原のため池「兼久(かねさ)の大池」も造った方です。とんでもなくすごい!
次の目的地へと、来見橋を渡ります。この石積みがかっこいい来見橋も、茂登太さんが村長時代に改造されたものです。
「湯谷口(ゆやぐち)」交差点を越えて、国道の南の山側まで来ました。
ここからは次のポイント、志河川(しこがわ)ダムへと軽く山へと入っていきます。この看板が目印。
ダイアナ:「ダムってどのような感じなのかな。楽しみ」