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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.8国安地区(前編)

ページID:0035146 更新日:2016年11月30日更新 印刷ページ表示

地域のウォーキングレポート第8弾

このコーナーでは、シティプロモーション推進課の広報専門員 日野が、
市内をカメラを携えて歩き、レポートしています。

2016年11月17日(木曜日)晴れ

今回は、東予の西部、国安地域に赴きます。

校区マップ

国安地域はこんなまちです。

人口4,011人(平成28年9月30日現在)。高縄山系の東三方ケ森を源流とする大明神川下流の南側(右岸)にあたる地区。

もと周桑郡、以前の桑村郡の国安村と呼ばれ、江戸時代から、周桑手すき和紙作りの舞台である。

桑村の由来は、養蚕のため愛媛県下有数の規模の桑畑があったことから。国安の名の由来は定かでないものの、同じく江戸時代からその名はあったとされる、歴史ある町。


まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。


今回歩くのは、国安地区の名所めぐりのコース。
三芳と壬生川に挟まれた国安は、
どんなまちなのでしょうか?

マップ(大)

国安地区 名所めぐりウォーキングマップ [PDFファイル/705KB]


紙の里国安の看板

朝9時。陽射しをあびて、
「紙の里国安」が目印の公民館に到着。

迎えてくれたのは、藤原館長(右側)と、親しく話していた高橋さん。
事務室向かいの調理室ではお料理教室。

国安公民館長と高橋さん

このコーナーを知っていたという高橋さんから、

「日野さん、庄内はまだ歩いてないん?
わしゃ庄内じゃけん、また寄ってんよ~!」

ありがたい声援を受け、出発です。

マップ 公民館

公民館から2つめの信号は
県道159号、孫兵衛作壬生川線と交わる交差点。
大きな駐車場のコンビニが目印です。
そのまま直進します。

コンビニのある交差点

車で通過したことはありますが、歩くのは初めて。

実は、この道はすごく歩きやすいんです。

「ウォーキングロード」の名前で、15年前には照明が整備され
夜も多くの人が歩いているそう。

ウォーキングロード

広くて、街路樹も整っていて、気持ちいい~。

少し歩くと、右手に公衆トイレがあります。
駐車できるスペースもありましたよ。

公衆トイレ


まっすぐ進むと、大明神川にかかる
天井川大橋のたもとに突き当たります。

マップ 大明神川

天井川大橋

この大明神川は東予地区北部を
東西に貫き燧灘に注ぎます。

堤防内にたくさんの土砂が堆積 (たいせき) し、
川床が付近の平野面より高くなった、珍しい「天井川」です。


土手沿いの道を国道196号方面へ進みます。

ウォーキング中の男性がいらっしゃったので、
声をかけてみました。

「国安は、ウォーキングロードも、
高速道路の下の道も歩きやすいよ。
いつも1時間くらい歩きよって、今日はこんだけ歩いとる。」

歩数計を見せてもらいました
(一番下には有酸素運動で歩いた歩数が表示されるとのこと)


川の両岸には、堤防の決壊を防ぐために
海岸近くまで、2千本ほどの松が植えられ

館長曰く、「瀬戸内海を運行する船が目印にしとった」
ほどだったようです。

松くい虫被害でほとんどの松が姿を消してしまい
現在ではこのように、ところどころ、数本ずつ残っているのみです。

大明神川の松

マップには「大明神川左岸(この対岸)から
松並木を通して眺めた石鎚山は
絶景だったといわれています」とあります。

この日は快晴だったものの、山は霞の中~。

さぞ、当時は風光明媚な景色だったことでしょう。

しかし、ちょうど、川の下を
電車がくぐる「川底トンネル」の場所までやって来ました!

マップ 天井川

自動車道と予讃線線路

堤防から壬生川・小松方面を臨みました。

振り返った川底、
トンネルの上部はこのようになっています。

JR予讃線トンネル上部

市ホームページ「水の歴史館」にはこう説明があります。

とても難しい工事だったようです。

大明神川のあるJR壬生川~三芳間は、大正10年(1921)9月25日に工事に着工し、大正12年(1923)10月1日に完成しています。1つの駅の区間に2年もの期間を要したのは、大明神川トンネル(全長65.53m)が難工事であったことを物語っています。それは普通のトンネルとは違い、全国的にも珍しい川床をくぐる工事であったためです。
古来より名うての暴れ川であった大明神川を、何とか制御しながら工事を進めました。工事は西から東に流れる川を南北にJR予讃線が横切るため、工事を東西に分割して施工しました。一方を水路として残し、半分づつ開削して工事をするオープンカット工法(露天掘工法)がとられたようです。その後何回かの洪水被害に遭い現在の形になっています。
日本で初めて河床をくぐるトンネルが出来たのは、明治4年(1871)7月の神戸市の石屋川トンネル(現在はJR西日本が高架橋になったため埋められています)でしたが、それも天井川をくぐるものでした。全国には河床トンネルは何か所もありますが、鉄道用の河床トンネルで現存しているものはかなり少ないようです。

昔の写真などは、リンク先をご覧ください。

館長から、「トンネル見るにはこっちが最高よ」と、
別の角度を教えていただいたので
そちらからも見てみることにします(後編をお楽しみに!)。


気候は冬に向かっているものの、
陽射しの勢いを感じる小春日和。

ひなびた色味のススキやひっつき虫(アメリカセンダングサ)も
光を浴びてキラキラして、少しかわいく思えました。

大明神川のすすき

背の高くない、セイタカアワダチソウも。

セイタカアワダチソウ

下流の「六髙橋」のたもとで
今回の歩いた証拠を。

日野

三芳方面へ橋を渡る年配の女性。

「ああ、景色を撮りよん」

平日のこの時間に歩いて、
こういう光景を目にすると

心から「ふだんの町の生活ってこんなんだなぁ」と実感します。

六髙橋を渡る年配女性


車がビュンビュン走る、国道196号の
手前で堤防を下ります。

マップ 曲がるところ

高田地区の住宅地に入ってゆきます。

堤防から下りる

開店前のカフェ。
じっとこっちを見ている番犬。

カフェと番犬

消防団のポンプも併設している
高田集会所の前を通過します。

高田集会所

ご自宅の前の畑で、野菜を育てているお父さん。

写真のほうれんそうをはじめ、春菊や白菜など
葉物を中心に作られていました。

ほうれんそう畑

住宅地の南端に見えてきた石積みとソテツ。

大慈庵ソテツ

市指定文化財 天然記念物に指定されている
大慈庵の蘇鉄(ソテツ)群です。

大慈庵

昭和58年7月18日指定 大慈庵は、正法寺二代住職(享保六年寂、1721年)が隠居寺としてここに庵を開基した。その時に、南の正門左右に蘇鉄を四本ずつ植えたという。さらに、六代住職が当庵に来た時に、観音堂正面に八本植えたと伝えられている。寺院でのこれほど多くの蘇鉄群は他にみられない。蘇鉄は宮崎県以南に自生する雌雄異株の裸子植物である。

西条市教育委員会立看板より引用

また、なんと、
昔はこの周囲で競馬をしていたそうですよ!

…また、かつては庵の周囲を利用して競馬が行われていたこともあり、境内には馬頭観音堂が祀られている。三芳に競馬場があった頃は、馬主や調教師がお参りに来ていたという。33年に一度御開帳して、地域上げてのお祭をしている。平成20年がその年に当たる。

いまどき西条より引用

寺を出ると、左手の空き地では
皇帝ダリアが咲きほこっていました。

調べると、11月下旬~12月上旬が開花期の花。
この時期、家庭の庭先でもよく見かけますよね。

皇帝ダリア

 

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