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広報専門員の気ままに西条歩き Vol.14飯岡地区(前編)
地域のウォーキングレポート第14弾
このコーナーでは、広報専門員が、
市内の校区を一つずつ歩いてレポートしています。
2017年9月29日(金曜日)晴れ
今回訪れたのは、飯岡地区です。
新居浜市との市境の校区。人口は6,727人(平成29年8月31日現在)で、世帯数は3,069。 地域の東部が新居浜市に接し、古くからのまちとグリーンハイツ・ファミリーハイツ・オレンジハイツなど新たに開発された住宅地が共存。 原始時代から人が住み、古代から大きな寺社が建ち、古くから文化が栄え多くの遺産が残り「飯岡文化財愛護会」をはじめとする保護活動が盛ん。また、農業や防災などの分野でも住民が活発に活動を繰り広げている。 |
まち歩きには、市より発行の「西条市ウォーキングマップ」を利用しています。
飯岡地区 名所めぐりウォーキングマップ [PDFファイル/606KB]
秋の深まりを感じる今日この頃…
今回は、9月末に訪れた飯岡校区のご紹介です。
飯岡地区は、ウォーキングマップの
コース外に公民館や小学校があります。
位置でいうとこの★印のあたり。
今日は健康診断の日で、
検診車両が駐車場に停まっていました。
公民館に入ると、さっそく主事の
石水 輝美さん(左)と加藤 真奈美さんが出迎えてくれました。
写真左にあるのは、そう、ハロウィン用の飾り。
地域の方が育てた観賞用のスイカが使われています。
そしてこの日はにぎやか!
なんと、館長さんのほか、地域の方お二人も
一緒に歩いてくださるそう。
私(左から2番目)の隣が、連合自治会長の岩崎 忠夫さん。
その向かい、手前が高橋 行夫館長で、
右奥が河渕 力さんです。
河渕さんは、ライフワークのように
ウォーキングに取り組んでおられる方。
お手持ちのガイドブック「飯岡のふるさと探訪」も使って
見どころを回っていきます。
早速公民館の敷地内に撮影ポイント!
この道標は、「境界石」といって西條藩の領 福武村と、
小松藩の領上島山村との境を示すものとして建てられたものです。
※実際の明確な境界は2kmほど西にあったそうです。
公民館隣にある飯岡小学校。
その小学校の向かいにある田んぼ。
地域から小学校に提供されている「実習田」で、
児童たちが田植え、稲刈りなどを
年間通じて行います。
農業の大変さ、収穫の喜び、人とのつながりを学べる
とてもいい機会だと感心しました。
私が小学生の頃も、縦割り班で
じゃがいも、さつまいも、大豆を育て
大豆からは豆腐を作ったりしたなぁ。
国道11号にかかる歩道橋へ。
ほら、河渕さん(右)の装備。
ポケットの多そうなリュックにアームカバー、
なかなか本格的じゃないですか?
国道を渡り、讃岐街道(旧道)に入ります。
するとすぐに6つのお地蔵さんの「六地蔵」が
迎えてくれます。
隣には「接待堂」が建ち、
その裏には西大道・六地蔵両地区の集会所があります。
- 部落名ともなっている六地蔵は王至森寺の所有で、接待堂と呼ばれた建物は王至森寺の庫裏(くり)を持ってきて建てられたものである。(略)この接待堂で、今ではほとんど見ることがなくなった、四国遍路のお接待が、地元だけでなく遠く早川(はいがわ)、山口、大浜部落の人まで年中行事として行っていた。(略)戸の入口左側に、「弘法大師開宗千百年記念碑」があり、記念碑の裏に「明治四十年未年・大道西組・早川組・武田本家・阿波の国名西郡桜間村、津川伴蔵」と刻まれている。津川伴蔵なる人物は僧職ではないが、この接待堂に住み着いていた人で詳しいことはわかっていない。
「飯岡のふるさと探訪」より抜粋
六地蔵とは、仏教における輪廻転生の
6つの世界(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)。
それぞれに配されるお地蔵様のことであり、
六地蔵、および地名は全国各地にあります。
立派に整備され、地域の想いを感じますね。
そして、讃岐街道から山の方面へ。
住宅街の中を、あいさつを交わしながら歩きます。
個人経営の商店のたたずまいに心がなごみます。
室川に突き当たりました。
松本橋の上から川を眺めます。
取材の約2週間前、
9月17日には西条市に台風が上陸しました。
水が写真左の川底をえぐり、
全体的には流れてきた土砂や石が、
川底を上げているのが分かります。
積み重なった結果、この川は豪雨などの際は
水量が上がりやすいとのことです。
この上流方面にお住まいの河渕さんが、
地域の皆で土手を清掃していることや
平成16年に西条を襲った
台風被害のお話をしてくれました。
こちらには西条市防災アプリに搭載の
河川監視カメラを設置しています。
※西条市内計8カ所にライブカメラを設置。
(リンク)河川監視カメラシステム・水位観測システム
橋の西側には、電源開発株式会社の事業所と
変電所があります。
電源開発の住宅の塀に沿って歩くと
「へんろ道」と書かれた目印が。
また四国のみちに戻ってきました。
リンク:四国のみち 水の都の緑のみち
(愛媛県庁ホームページ)
さらに南へ向かう直線の道から
次の目的地、素鷹(そが)神社の入口が見えてきました。
素鷹神社到着。
まず手前に天皇庵、その正面に天皇池(天皇さんの泉)が。
湧き出た名水が
この池に流れ込んでいます。
看板「西条市名水・名木50選」には
- 「天皇さんの泉」天皇さん(素鷹神社)の大杉の根元から一年中かれることなく、清水が湧き出ています。この水の受け皿として天皇池があり、農業用水として利用されています。夏季には、すぐ近くにあるみんなの広場やゲートボール場の子どもやお年寄りの飲み水にもなっています〈平成3年3月制定〉
「飯岡のふるさと探訪」より抜粋
「天皇さん」の由来は、こちらの祭神が牛頭(ごず)天王であることから。
飯積神社の末社とのこと。
余談ですが、牛頭天王は京都祇園社(現八坂神社)の
祭神でもあるそうです。ふむふむ
そして長く急な階段を登りました。
皆さん健脚なので、「1、2、3…」と段を数えながら
止まることなく登り進めます。
「73!僕の年齢くらいや」と岩崎会長。
「えー若いですね!」
その上の本殿でお参り。
階段を下りると、草刈りをしていた男性が
休憩中。少しお話を伺いました。
「わしゃあ家が神拝のほうなんじゃけどの、
土地(この柿畑)があるけん、
世話しにきよんよ。もう若(わこ)ないわ、85よ」
とのことでした。お元気です!
「日野さん、時間大丈夫なんだろ?」
「あっはい!」
そして私は3人に連れられ、
ちょっとした登山道を登り、さらに奥地へ。
ちょっとした登山道の先にあったのが
この「お産能(さんのう)さん」の祠です。
- 中世、滋賀県大津市坂本の日吉神社を、延暦寺の側から山王権現と称した。(略)この山王様の発音が産能さまに通じるため、いつのころからか、お産の神様として信仰されるようになったものと思われる。飯岡の昔話によると、享保年間(約260年前)に、この山里に一人の貴族の女性が住み慣れ、お産のもつれから、親子ともに亡くなり。その霊を供養することから、安産祈願が叶えられると伝えられ、今では一般にお産の神さまとして信仰されている。
「飯岡のふるさと探訪」より抜粋
歴史あるものがいっぱいです、飯岡。