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水の歴史館 川の歴史-加茂川

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月15日更新
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川の歴史-加茂川

 加茂川は西日本最高峰である石鎚山(1,982m)に源を発し、 名水百選「うちぬき」に代表される西条市の地下水を涵養しながら瀬戸内海に注ぎます。上流ではアユ、アマゴ、ニジマスなど清流を好む魚が群れをなし、その上をカワセミが飛び交います。中流では夏の川遊び、いもたき、秋祭りの川入り が催され、下流では大きな干潟を形成し、渡り鳥が羽を休めます。西条を育んでいる「母なる川」と言えるでしょう。
 流長は28.387km、流域面積191.8km2で県内有数の二級河川です。

加茂川縦横面曲線図

加茂川源流の碑 (岩黒山付近)1枚目
加茂川源流の碑 (岩黒山付近)
※↓右の碑の拡大写真

加茂川源流の碑 (岩黒山付近)2枚目加茂川源流の碑 (岩黒山付近)3枚目

加茂川改修(参考:『西條誌』)
 加茂川は、古くは八堂山あたりから御舟川方面へ乱流し、たびたび洪水による災害をもたらしていました。加茂川の改修前は八堂山付から神拝方向に流れる筋と、御舟川へ流れる筋があったと思われます。八堂山から北へ向かった地域の地名が釜の口、川原、前川原、西之川原、岸陰、小川、清水、善恵川など、大町から西には川原町、喜多川、上川原、古川などの川にちなんだ地名が残されており、昔の川の流れを想像することができます。

『西條誌』とは 「西條誌」は、伊豫国西條藩主松平頼学の命により、同藩儒学者日野和煦の編集した西條領内町村の郷土誌です。天保六(1835)年に命を受けた和煦は、領内村々の庄屋から郷土資料を差し出させ、助編者竹内材介等とともに領内各村を実地踏査し天保十三(1842)年に完成しました。五部作成された内の原本が、愛媛大学付属図書館に「西條誌稿本」として所蔵されています。
 西條領には、旧東予市から東は旧川之江市にいたる多くの町村の内七十ヶ町村があります。
 内容は当時の西條藩領内の様々な情報を調査し、精細な絵図と共に記録したものです。当時の様子を知る最適な郷土史研究の歴史地方誌です。

中野村加茂川之図

中野村加茂川之図
伊予地理図誌稿(愛媛県立図書館蔵)
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釜之口堰(神戸・橘の一部)の写真
釜之口堰(神戸・橘の一部)

西条誌から左から御所明神、加茂川、水越、五本松の写真
西条誌から
左から御所明神、加茂川、水越、五本松
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現在の御所明神、現在の五本松付近

西条誌から 禎瑞、土場、唐樋の写真
西条誌から 禎瑞、土場、唐樋
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加茂川右岸河口:土場(古川)付近の写真
加茂川右岸河口:土場(古川)付近

 慶長5年(1600)加藤嘉明(賤ヶ岳の七本やりの一人)は関ヶ原参陣の後、6万石から20万石に加増されて、伊予松前城から松山へ移り、西条地方を領有することになりました。
 この頃、加茂川は足立重信(加藤嘉明の家老)・常眞(じょうしん(?~1624)=光明寺住職)らによって、現在の流れに改修されたと伝えられています。
 加茂川改修工事の着手、完成ともに正確な年代は明らかではありませんが、足立重信による石手川の大改修が慶長5年(1600)に始まっており、寛永2年(1625)11月に足立重信が没し、常眞もその前年に没しています。また、加藤嘉明も寛永4年(1627)2月に会津若松へ領地替えとなっていることなどから、1600年から1627年の頃に加茂川の改修工事が行われたと大略の年代を推定することができます。
 かつて、加茂川の改修は常眞が完成させたと言い伝えられてきました。「大町常心」という地名はその功を讃えて名づけられたと言われています。しかし、その後「久門文書」などから加藤嘉明が足立重信を改修奉行に命じ、設計を行い、常眞がこの工事の完成に協力し、その功労によって寺地拝領となったと思われます。
 万治4年(1661)の「久門文書」によると、寛永元年(1624)頃洪水のために、左岸中野村の部分で堤防が大欠潰し、中野村の低地部、洲之内付近の田が被害を受けています。加茂川大改修によって右岸が強化されたこともあり、反面に左岸が比較的に頑固でなかったことに原因するようにも考えられます。
 加藤嘉明の治下で、右岸八堂山のふもとを過ぎた最上流に福武堰が設けられました。その下流左岸に、中野村、洲之内の低地部のための桜木堰がありました。大町堰は更にその下手であったことは万治4年(1661)の文書で明らかで、最近発見された両堰の昭和初期の写真からも明らかです。また、元和の末か寛永のはじめ頃かは不明ですが、その頃の洪水で桜木堰が使用不能状態となり、不用になった後、田中喜兵衛は大町堰を福武堰に接近するところまで引き上る工事を出願し、大町堰の付け替え工事が行われています。

西条誌から 右から福武釜の口、幸櫻(現在の武丈)の写真
西条誌から 右から福武釜の口、幸櫻(現在の武丈)
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昔の福武釜之口と大町釜之口のあったところの写真
昔の福武釜之口と大町釜之口のあったところ

現在の釜之口(大町・福武)(通称:おちきり)の写真
現在の釜之口(大町・福武)(通称:おちきり)

分水点の写真 左は大町方面、右は福武方面
分水点
左は大町方面、右は福武方面です

 大町土地改良区の用水取入口は、慶長時代加茂川大改修当時のままと考えられる福武堰と、万治年間に田中喜兵衛が身命を挺して移築した大町堰との二つがありました。
 河床が荒廃した近代には、毎年大堀開をしなければならない状態でした。そこで、はじめ予定計画された大久保堰の案は下流水利関係者の反対により実現不能となりました。
 昭和31年協定の基本計画では、旧福武堰の上流の八堂山の麓の深淵(通称:おちきり)を選定し、深く山の下を貫通する358メートルの隧道(トンネル)によって、旧福武釜之口の内方に水を引き、ここで元大町堰により導水した水路の方向と二つに分岐させることになりました。工事は昭和31年1月12日に起工し、昭和32年5月1日に完成しています。

加茂川の水利権の概要

加茂川水利権等 概要図

加茂川水利権等 概要図

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