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水の歴史館 打ち抜き工事の今昔

ページID:0070144 更新日:2015年1月15日更新 印刷ページ表示

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打ち抜き工事の今昔

■西條の発祥

 水は人間の生活にとって不可欠な存在であり、水を中心に営みが行われてきました。
 『西條』という名前が古文書に出てくるのは、新居浜市角野にあったといわれる深谷寺の古文書に「島山以東を東條といい、島山以西を西條という」とあります。島山は、西条市玉津から飯岡にかけての低い連山をいい、後に、上島山、下島山に分けられました。
 鎌倉時代末期のものと推定される覚園寺の古文書にも『新居西條荘』と明記されています。

■うちぬきの発祥

 「打抜」が古文書に登場するのは、西條藩第9代藩主松平頼学(よりさと)の命により、同藩の儒学者日野和煦(にこてる)が天保6年(1835)から7年間をかけて編述した『西條誌』が初見であり、禎瑞村の項に「打抜泉」として記述されています。
 「うちぬき」の歴史については、西条市禎瑞在住の三木秋男氏が長年研究をされ、全国地下水利用対策団体連合会刊行の『天の水・地の水』(2004春季号)で発表されているので紹介します。

わが故郷の打抜師たち

西條誌(愛媛大学附属図書館所蔵)の写真
西條誌(愛媛大学附属図書館所蔵)

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